序文・小学生の時に「かぐや姫」で目覚めた音楽(ギター)人生。学生時代・楽器店就職・バンド活動など音楽(楽器)人生を振り返ってみた。
堀口尚次
小学6年生の時に、叔父の御下がりのガットギター(いわゆるフォークギターではなく、クラッシックギターともいわれたナイロン弦が張ってあるタイプ)を入手した事が、私の音楽人生のスタートだったと思う。
ピック(ギターの弦を右手で爪弾く為のプラスチックの三角形の小物)なんてないから、母親が和裁で使用していた、布に押し付けて印を付ける道具(三味線のバチを小さくした様な形)で弾いていた。
近所の高校生のお兄ちゃんがフォークギターを弾いており、兄貴が中学生になった事もあり、フォークのかぐや姫・井上陽水ばかり聴いていた。
中学生になると、ユニー(地元ショッピングセンター)の楽器屋でフォークギターを買って貰い(1万円位の無名メーカー)毎日のように練習した。この頃から、兄貴の影響で、ビートルズなどの洋楽も聴くようになり、音楽の幅は劇的に広がっていった。中学3年には、エレキギター(フレッシャーのセミアコ)を買って貰い、私の音楽熱はロック熱となり沸騰状態だった。中学生の最後に名古屋市公会堂でイギリスのロックバンド・ジャパンを観に行った。(この時の前座はARB・ボーカルは俳優の石橋凌)
高校生になると、同級生のバンドに加入してポプコンなどの音楽コンテストにも出場した。(勿論予選落ちだけど、勉強よりギター中心の学生生活だった。)
この頃は、フュージョン(当時はクロスオーバーといった)に傾倒する時期もあり、人気ギタリストに憧れてレコードをコピーする毎日だった。アメリカのプログレッシブ・バンドのカンサスも好きで、ライブを観に行った。
高校卒業後は、中部ピアノ技術学校というい専門学校に進み、ピアノ調律の資格を得た。この頃も地元の先輩らとバンドを組み、演奏活動に精を出した。
専門学校は1年で卒業して、楽器店に就職し、ピアノ調律師として勤務した。
楽器店での調律師の仕事は1年程度で、殆ど営業職でピアノやエレクトーンの販売や音楽教室の運営に従事していた。楽器店は通算3年で退職し、その後は音楽とは関係のない小売業(ホームセンター)に転職し、今に至っている。
社会人になってから、憧れだったギブソンのエレキギターを購入し、その後、エピフォン・カジノやフェンダー・ストラトキャスターなども入手した。ヤマハのベースギターやデジタル・ドラム、MTR(多重録音器)なども買い揃え自分自身で宅録(自宅で各楽器を演奏して一人で多重録音する)をするなど、趣味の音楽を楽しんでいる。
邦楽ロックでは、クリエイション(竹田和夫)・センチメンタルシティロマンス(名古屋出身)が好きで、フュージョン系ではプリズム(和田アキラ・森園勝利)が好きで、それぞれライブも観に行った。洋楽では、レッドツェッペリン・イーグルス・カンサスなどが特に好きで、カンサスは合計3回ライブに行った。
夢はシンガーソングライターだったが、その夢は絶たれた。娘が小さい時にミニギターを買い与えたが、興味を引くことはなかった。ただ小中高と吹奏楽でトランペットを吹いているので、少しは音楽遺伝があったのかと胸を撫で下ろしている。こんな私の音楽人生は、まだ道半ばだ。この先どんな音楽(ギター)との出会いが待っているのか楽しみだ。