ホリショウのあれこれ文筆庫

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第35話 侠客(きょうかく)たちの幕末維新

序文・幕末維新の勉強をしていると、侠客の活躍も見逃せない。今回は3名だけだが簡単に紹介します。

                               堀口尚次

 

 幕末には、多くの侠客がいたが、尊王攘夷の志士や旧幕府軍を助けた者も多い。侠客とは、強気を挫(くじ)き、弱気を助ける事を旨とした「任侠(にんきょう)を建前とした渡世人(とせいにん)=博打(ばくち)打ち」の総称。市井無頼(いちいぶらい)の徒=町の住むならず者 「やくざ者」に対する美称として用いられた。常軌を逸した行動と伊達者(だてもの)=意気を示して男らしくする者 たることを誇りとした室町時代のかぶき者=常識を逸脱した行動にはしる者 を源とし、江戸時代には義侠的行為で体制に反対する者を指す総称となったが、次第に賭博や喧嘩渡世などを仕事とした無法者を指すようになり、幕府による取締の対象とされた。一方、幕府は橋や河川、主要道路を整備するために、役人・職人だげでは無理があるとし、多くの浪人に労務管理としての口入業を行わせている。彼らが独自に生み出した珍奇な衣装、言動といったものが、都市文化の風俗として捉えられたのが侠客である。ちなみに、町奉行の末端役人である同心(どうしん)が、侠客を非公認で雇ったものが「岡っ引(おかっぴき)」である。

 「新門辰五郎(しんもんたつごろう)」は、江戸町火消(まびけし)の侠客であるが、娘が将軍・徳川慶喜の妾(めかけ)であったことから慶喜の警護も行っている。勝海舟は、江戸城無血開城が失敗した時のために、江戸市街地の完全焦土化も考えており、その準備を辰五郎に下達(かたつ)している。

 「日柳燕石(くさなぎえんせき)」は、讃岐国香川県)の侠客で、千人を超える郷党浮浪の徒の首領となり、博徒の親分であった。勤王の志が非常に厚く、天下の志士と交わり国事のために私財を投げ出して尽力した。長州藩士・高杉晋作の身代わりになり投獄させらている。

 「柳川熊吉」は、江戸の侠客だが、北海道に渡り函館戦争=戊辰戦争の最後の戦い で敗北し賊軍とされた旧幕府軍の遺体が埋葬を許されずに函館市中に放置されるという惨状に堪えたれず、子分たちと共に遺体を回収し埋葬した。

後に函館山に碧血碑(へっけつひ)を建て、約800人の戦死者を弔った。

 このように、幕末維新時に活躍した侠客は、まだまだ沢山いる。

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