ホリショウのあれこれ文筆庫

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第36話 悲劇の宰相・廣田弘毅

序文・東京裁判A級戦犯として訴追され、文官として唯一処刑された元総理大臣。

                               堀口尚次

 

 廣田弘毅外務大臣内閣総理大臣を歴任し、極東国際軍事裁判東京裁判)でA級戦犯として有罪となり、文官(軍人以外の国家機関に勤務する者)として唯一絞首刑の判決を受け処刑された。

 二・二六事件の後、総辞職した岡田内閣にかわり、廣田内閣が組閣されたが、名門の出でない廣田に対して昭和天皇は心配していたという。陸軍から閣僚人事に不平が出たが、「軍部大臣現役武官制」=陸・海軍大臣就任資格を現役の大将・中将に限定 を復活させ、軍備拡張予算を成立させるなど軍部の意見を広範に受け入れた。

 約1年で内閣総辞職をし下野(げや)するも、近衛内閣の外務大臣に就任する。組閣後間もなく盧溝橋事件が勃発し、中華民国との間で戦闘状態が発生した。廣田は不拡大方針を主張し、現地交渉による解決を目指した。陸軍作戦部長・石原莞爾は何度も首脳外交を提案するが、外交のプロを自認する廣田は動かなかった。この後廣田は外務大臣を辞任する。

 その後、内閣参与となり、東條内閣では会議で「危機に直面して直ちに戦争に突入するは如何なるものにや」と発言している。

 大戦終結後、廣田は、連合国軍によりA級戦争犯罪人容疑者として巣鴨プリズンに収容され、GHQの組織した国際検察局が、極東国際軍事裁判の訴追対象とするかどうかを決定する尋問を行った。検察側は、組閣時に閣僚人事に軍の干渉を受けたことや、首相時代に軍部大臣現役武官制を復活した点を重視した。廣田は「統帥権の独立」=軍隊の最高指揮権は天皇にある を盾に政府に圧力をかける軍への対応に苦慮したことを率直に明かしている。国際検索局は「廣田は軍国主義者ではないが、政府を支配しようとする陸軍の圧力に屈し、侵略を容認し、その成果に順応することでさらなる侵略に弾みをつけた者達の典型」とし訴追対象にした。最終弁論を前に、廣田は「高位の官職にあった期間に起こった事件に対して喜んで全責任を負うつもりだ」と言ったとされる。

 東京裁判において廣田は一切の弁明をしなかった。弁護人が「軍部の方針に官僚は口を出さなかった」と主張するように伝えても、廣田は沈黙を守った。これは自分が無罪や減刑を主張することで、昭和天皇や他の人達に罪が及ぶことを心配したのだ。

 座右の銘は「物来順応」=与えられた役割を全うする と考えられている。

 享年71。尚、廣田は文官であったが、昭和受難者として靖国神社に合祀されている。最終位階は従二位、勲一等旭日大綬章を受章している。

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