ホリショウのあれこれ文筆庫

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第49話 裁判官の苦悩

序文・裁判官の実態がわかる番組を観た。大変で重要な仕事だと思う。知らない事が沢山あった。

                               堀口尚次

 

 テレビのドキュメンタリー番組で、弁護士(元裁判官)の方の貴重な意見を知る事が出来た。彼は、裁判は『「白か黒」ではない、「黒か黒でないか」を判断する』と云う。人が人を裁けるものなのか、常にそこには葛藤があり、決断があり、また反省もあろう。日本では起訴されたものの99%が有罪となるが、刑事裁判には「推定無罪の原則」や、「疑わしきは罰せず・被告人の利益に」というルールがあり、いかに冤罪(えんざい)を回避して判決を下すかが問われている。

 ここで難しいのが、刑法上の責任能力の問題だ。被疑者が犯行時に心神喪失状態であった場合は、責任能力が問えないとする。重大事件で殺人罪に問われても、心神喪失であれば責任能力が問えないのだが、医師による診断とは別に、検察側と弁護側でこの責任能力の有無について意見が分かれる場合があるようだ。従って、検察側が有罪を求刑しても、裁判官によっては無罪判決を下す場合もあると云うのだ。

 私は、てっきり専門家(精神科医等)の診断書が優先されると思っていた。しかし、司法では、被告人の精神状態が心神喪失状態(責任能力なし)に該当するかどうかは法律問題であって専(もっぱ)ら裁判所に委(ゆだ)ねられるべき問題であるとしている。

 裁判というと文字通り「人を裁く」という印象が否(いな)めない。しかし、実は検察官が提出した証拠が合理的であり疑問の余地がないのかを判断するもの。証拠に基づき、常識に照らして考えた時に、検察官の言い分に何の疑問もなく確信できるか、それが裁判の基本のようだ。

 先の元裁判官は「真実は分らない」と云う。真実は犯人にしか分らないと。犯行には動機があり、その動機の背景にある人格形成・時代背景・社会環境など様々な要因が複雑に絡み合っているのだろう。

 人が人を裁くのが裁判ではあるが、「真実」を探し出したり、個人的な考えに基づいて「人間を裁く」事ではない。提出された証拠に基づいて、常識に従った判断を下すことが裁判なのだ。

 番組では、現在は80歳を超えて弁護士として活動する元裁判官の半生を追っていた。現在は再審請求(裁判のやり直し)などに注力しいる。彼から感じられたのは、法の番人としての揺るぎない矜持(きょうじ)みたいなものだった。

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