ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第50話 市内のお寺・お堂・神社・祠・石仏巡り

序文・市内のお寺や神社を制覇しました。途中から、祠や石仏まで足を運ぶ始末・・・。

                                 堀口尚次

私は、市内の寺・お堂・神社・祠・石仏等のすべてを巡る事を発願(ほつがん)しました。寺の中には、廃寺になっているものがあったり、地図上は神社となっていても、祠(ほこら)しかないところがあったりと、楽しくも根気のいる事となりました。すべて歩いて廻りましたが、寺39箇所・神社22箇所・お堂祠石仏等80箇所と約150箇所を尋ね廻りました。ウオーキングも兼ねた、気ままな一人行脚(あんぎゃ)でした。

 寺は、浄土真宗・浄土宗・曹洞宗日蓮宗天台宗真言宗と宗派は多岐に渡りますが、土地柄なのか曹洞宗が圧倒的に多かったです。本堂とは別に「十王(じゅうおう)堂」があり、閻魔(えんま)大王を含む十王が祀(まつ)ってある所が興味深かったです。「知多四国八十八カ所巡り」の札所(ふだしょ)になっている寺が五カ所あり、お遍路(へんろ)さんに対応した飾り付けなど、他の寺とは違う賑(にぎ)やかなイメージを醸(かも)し出しています。弘法さん信仰の「弘法堂」もいくつかあり、寺とは別の土着信仰の跡が見受けられたが、少子高齢化の現在では廃(すた)れてしまった感が否(いな)めませんでした。道端にあるいわゆる辻(つじ)地蔵や石仏なども沢山ありましたが、御守(おも)りする人がいないようなものもいくつかありました。貴重なものでは、名和地区にあった青峰山観音像で、海難供養の仏様なので、昔に海に面していた事の名残(なごり)が窺(うかが)われます。

 神社は、八幡社・神明社・稲荷社などいわゆる村社(むらしゃ)と云われる、地元の秋祭り(五穀(ごこく)豊穣(ほうじょう)祭)と直結した「お宮さん」と呼ばれるものが多かったです。名和町や荒尾町では、「猩々(しょうじょう)」という伝説の動物(鬼ではない)が神社の祭りに現れます。横須賀町や大田町では、山車(だし)があり秋祭りと地元神社が結びついています。祠(ほこら)は古い地区に多く、地元の講(こう)(庚申(こうしん)信仰)なんかと結びついたものが多いと思われます。私の母方の実家である、荒尾町平島地区には「金山(かなやま)さん」といわれる講(こう)があり、金山(かなやま)神社(南宮(なんぐう)大社の金山彦神(かなやまひこのかみ))信仰が根付いているようです。目立った祠(ほこら)(石仏)に「役行者(えんのぎょうじゃ)」が結構ありました。修験道(しゅげんどう)の開祖といわれていますが、神社の片隅や、時には寺の片隅にある場合もあり、信仰が大きかった事が窺(うかが)われます。神社には、摂社(せっしゃ)とか末社(まっしゃ)と呼ばれる、御祭神(ごさいしん)とは別の、沢山の神様が祀(まつ)られています。その中には、神様の名称が読み取れないものもありました。

 基本的に、参拝(神社の場合は二礼二柏手一礼)時にお賽銭をしてきました。ご利益があるか分りませんが、満願の暁(あかつき)には十分な満足感に包まれました。

※名和・船津神社の猩々メッタ

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