ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第53話 正義ってなんやろ

序文・正義の味方なんてこの世にいない。自分自身が正義に生きるだけ。

                               堀口尚次

 だいぶ昔だが、テレビ番組でダウンタウン松本人志が云っていて印象に残っている話がある。

 「小学校の教室での出来事。ガキ大将の男の子が、いきなり隣の席の女の子に向かってバケツ一杯の水をぶっかけた。当然女の子は泣き出してしまい、男の子は先生から叱られて廊下に立たされる事となる。先生も他の生徒達も男の子を攻め立てたが、女の子がお漏らしをしてしまった事を知っているのは、男の子ひとりだった。勿論男の子は真実を言わないが、悪い子のレッテルを張られてしまう。正義ってなんやろ。」

 「正義」とは、儒教五常仁義礼智信)の「義」からきていると思うが、ここでいう「義」とは「私欲に囚われずに、すべき事をすること。」という。仏教でいう「善行」と似ている内容を含むと思う。

 中島みゆきが唄った「ファイト」の一節に「私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い 私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です・・・・・・・ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」があるが、これも心の葛藤を歌った正義だと思う。

 民族派思想家の故野村秋介氏が云う『ラッシュアワーで、プラットホームに沢山の人がいて、大混雑している時に、ふらっと倒れるような少女がいたら、起こさないどころか、逆に腹を立てる人が大半だと思う。誰も起こさない。皆、急いでいるし、起こしていると電車に乗り遅れてしまう。でも、僕は起こす。僕は絶対に起こしてやる。そうして「ケガはなかったか」くらいの声は掛ける。そうすると傍らの者は、僕がその倒れた少女の為に起こしたんだと錯覚する。でも、違う。僕は、僕自身の為に起こしたんだ。僕がもし、その倒れている少女を知ってて、知らん振りで通り過ぎてしまったら、僕は必ずその事を、僕の心の中で重みに思う。勿論、思わない人も沢山いるだろうけれど、僕は思う。だから、僕が倒れている少女を起こした行為は、僕自身の為にやった事だったのが、結局は少女の為にもなったという、ただ、それだけの事なんだ。』これも彼の中の正義なんだと思う。

 かつて、友人からの年賀状にこうあった「毎日地味な誰にも知られぬ仕事。これが大事だ。自分の振る舞いを満天下に示すのは、人々や時代が決めてくれればそれでいいのだ」と。これも友人の正義だと思った。

 正義は、けして振りかざしてはいけない。人からどう見られようと、胸を張って生きていける自分でありたい。

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