ホリショウのあれこれ文筆庫

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第63話 聚楽園大仏

序文・名古屋鉄道常滑線聚楽園駅から大仏さんが見えます。

                               堀口尚次

 

 愛知県東海市荒尾町の名古屋鉄道聚楽園駅のすぐ前の丘に聚楽園大仏が鎮座する。上品上生(じょうぼんじょうしょう)印という手の組み方から、阿弥陀如来である事が窺(うかが)える。

 名古屋の実業家・山田才吉【守口漬の創始者】により、当初の「大正天皇御大典記念事業」から「昭和天皇御成婚記念事業」に変えて、大正12年に鉄筋コンクリート造りで着工し、3年の歳月を費やして完成した。高さ18.79mは、奈良の大仏や鎌倉の大仏を凌(しの)ぎ日本一である。昭和60年の補修の際に銅粉を吹き付けた為、見た目は銅製の大仏に見える。大仏の前には「阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)」の仁王【金剛力士】像も建つ。

 大仏の百毫(びゃくごう)【眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛で右巻きに丸まっている】は、電照装置により光を放つ仕組みを考えていたが、間もなく取り払われた。才吉が電照装置を取り払った理由は、才吉の夢枕に大仏が現れ「頭が痛い」と訴えた為だという。

 私が小さい頃(昭和40年代)には、大仏の背後の扉から胴内に入る事が出来た。中は薄暗くお寺の様になっていた記憶だ。今では扉が閉められ入れなくなっている。

 大仏から50mぐらい離れた小高い丘の上には、弘法大師の座像もあった。こちらも5m程ある立派な造りだったが、老朽化と地盤の関係で取り壊されたようだ。

 聚楽園とは、元々才吉が経営していた料理旅館の名で、その敷地内に大仏を建立したのだ。

 2017年5月18日に「大仏様90歳のしあわせ祈願」があり参加した。和尚さんの読経の後に説法もあり有意義であった。

 現在の大仏は、保存の為に立ち上げた新たな宗教法人・大仏寺【お寺は実在しない】の所有となっている。

 東海市指定名勝(聚楽園大仏及び敷地内)ならびに、東海市指定文化財(大仏及び仁王像)となっている。

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