ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第85話 華族制度と四民平等と解放令

序文・マジンガーZに阿修羅男爵なんてのが出て来たけど、公家か大名だったのか!?

                               堀口尚次

 

 明治時代は、身分制度として「華族・士族・卒族・平民」と区別されており(戸籍上は華族の上のに「皇族」がある)、江戸時代の公家や大名が華族となり、後には「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」と細分化される。「士族」は、士分(しぶん)=正規の武士身分 の地位を持っていた旧武士階級や地下家(じげけ)=昇殿が許されない廷臣の家格、公家や寺院の使用人のうち、原則として禄(ろく)=給料 を受け取り、華族とされなかった者。「卒族」は、足軽等の下級武士。「平民」は、それ以外の農・工・商・穢多・非人をさす。制度の上での差別はなくなったものの、人々の間に差別意識は根強く残り、平等であるはずの元・賎民(せんみん)(穢多・非人)らは「新平民」と呼ばれた。

 解放令が検討された最初の案は、明治2年民部省改正掛の渋沢栄一より、大蔵大輔の大隈重信にあてて提出された戸籍に関する草案である。これは、改正掛には渋沢や前島蜜など郷士や農民などから幕臣を経て明治政府に仕官した者が多く、早くから人権の確立や四民平等の必要性を自覚していた層であった。また、実務面でもその身分の種別数が少ない方が事務処理に便利であるという側面もあった。この案をほぼそのまま継承した「戸籍編成例目」が翌明治3年に正式に大蔵省から太政官(だじょうかん)=最高行政機関 に提出されたが、戸籍を大蔵民部省(当時、大蔵省と民部省が実質統合されていたことから付けられた俗称)が行うことに東京府知事を始めとして地方官が反対したことから実現しなかった。

 皮肉にもその後になって大久保利通木戸孝允大隈重信の対立を原因とする政争の結果、大蔵省首脳が民部省の同じ役職を兼務していたことで統合されていた民部省に、新たに東京府知事が大隈の後任の民部大輔に就任し、大久保派も就任した。これを受けて改正掛にいた旧幕臣が「戸籍編成例目」を手直しして四民平等を前面に出した戸籍法案を建議するものの、穢多非人の解放の基本方針には賛成するが、生活改善事業と並行して漸進(ぜんしん)的=徐々に進める に行うべきであり、今回の戸籍制定には関連づけないとして、明治4年に穢多非人を先送りにしたままの戸籍法が制定された。

 その後、再度の内紛によって各省の人事が一旦白紙に戻され、大久保が大蔵卿と就任することを条件に民部省は大蔵省に再統合された。やがて統合後の大蔵省から、全ての無税地を廃止して地租を徴収しようとする地租改正の構想が出されると、従来無税扱いとなっていた穢多非人の所有地からも当然地租を徴収するための大義名分が必要となり、解放令に白羽の矢が立てられたとも言われる。さらに、欧米諸国が解放令を後押ししたことも追い風となった。欧米諸国はその大半が身分制度を廃し、平等を唱えていた。このため、欧米列強諸国はこぞって明治政府に対し、キリスト教の容認とともに賤民制廃止を要求したのである。そして、明治4年8月28日に解放令は公布された。

 解放令公布の後、明治政府は実質的な解放政策を一切行わなかった。明治政府から見れば解放令はあくまでも欧米諸国から押し付けられた物に他ならなかった。結果として、身分解放は「四民平等」理念による身分の解放ではなく、「地租徴収」実施のためだけに出された名だけの身分解放にとどまり、渋沢栄一らの「四民平等」を追求した人権論に根ざした早期解放論も、「生活改善」による格差是正後の漸進解放論も最初から無かった事となった。 一方で、板垣退助江藤新平など身分制度の撤廃を強く求めた明治維新の元勲(げんくん)もこの時期、政府の参議の座からの下野を余儀なくされており、政府内では大久保利通身分制度の撤廃に消極的勢力が力を増した。板垣らは「すべて人間は生まれながらに自由かつ平等である」という主張のもとに左院に民撰議院設立建白書を提出するが、政府により却下された。その後も同様の建白書が数多く提出されるが、ことごとく却下された。

 そして皮肉にも、解放令によって部落の生活水準は下降した。元被差別身分が差別から解放されることはなく、むしろ江戸時代に有していた所有地の無税扱や死牛馬取得権などの独占権を喪失した上、生活改善事業も行われなかったためであった。また、解放令とともに戸籍法の手直しが行われたものの、現場担当者の事務処理の混乱や意識改革の遅れもあって翌年編製された壬申(じんしん)戸籍における「新平民」表記問題につながることになった。全国水平社の設立後も部落の生活水準の改善はほとんど行われず、完全なる平等を謳(うた)った日本国憲法の施行によってようやく実質的な解放政策が行われることとなったのである。

 江戸時代の封建社会から、明治維新を得ての社会構造の大変換期である訳だから、大混乱も仕方ない。民主主義は、身分制度撤廃が大前提であるが、江戸時代までの「身分の違い」が、長い日本の歴史・文化の中に溶け込んでいる事は紛れもない事実である。世界の人種差別は目に見えてわかるが、日本の旧身分差別は目に見えない。差別や偏見をなくすには、自らの教養を高めるしかない。邪見(じゃけん)=よこしまな見方・驕慢(きょうまん)=驕(おご)り高ぶる様 を戒(いまし)め、自戒(じかい)としたい。

f:id:hhrrggtt38518:20211015165605j:plain