ホリショウのあれこれ文筆庫

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第90話 池田屋・寺田屋・近江屋事件

序文・幕末最大の謎「坂本龍馬暗殺」

                               堀口尚次

 

 幕末に旅籠などを舞台に四つの事件があり、しかも寺田屋事件は二つあり、かなりややっこしいので、まとめてみた。

池田屋事件は、幕末の1864年7月8日に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩土佐藩などの尊皇攘夷志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。幕末の京都は政局の中心地として、尊王攘夷・勤王などの各種政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏し、活動していた。会津藩薩摩藩による「八月十八日の政変」で長州藩が失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊攘派が勢力挽回を目論んでいたため、京都守護職新選組を用いて、京都市内の警備や捜索を行わせた新選組らが、炭薪商を偽経営する尊攘派志士の存在を突き止め、会津藩に報告。捜索によって、武器や長州藩との書簡などが発見された。志士を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により志士を自白させた。自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)」というものであった。さらに、長州藩土佐藩肥後藩などの尊攘派が、逮捕された志士奪回のための襲撃計画を実行するか否かを協議する会合が、池田屋において行われることを突き止めた。こうして池田屋襲撃事件は起こった。映画蒲田行進曲の階段落ちはここが舞台である。

 寺田屋事件は、幕末のの山城国伏見の旅籠・寺田屋で発生した事件で、2つの事件がある。①1862年に発生した薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件。②1866年に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件

 近江屋事件は、幕末の1867年に坂本龍馬中岡慎太郎らが醤油商の近江屋において殺害された事件。実行犯については諸説あるが、江戸幕府の組織である京都見廻組によるものという説が有力である。坂本龍馬はそれまで宿舎としていた薩摩藩の定宿であった寺田屋江戸幕府に目をつけられ急襲(②寺田屋事件)されたため、近江屋へ移っていた。坂本龍馬が暗殺されるという風聞は当時から広く流れており、御陵衛士らが近江屋を訪れて国事を二時間ほど語り、「新選組と見廻組が狙っている」と告げたという。薩摩の志士が、土佐藩邸に入れないのであれば薩摩藩邸へ入るよう勧めたが、龍馬は「(薩摩藩邸にこもることは)実にイヤミにて候ば」と返答し、近江屋に留まった。襲撃時の状況は証言者によって違いがある。こうして龍馬暗殺の謎は現在に至るまで謎のまま、歴史研究家の諸説がある。いずれにせよ幕府側に暗殺された事は間違いないだろう。

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