ホリショウのあれこれ文筆庫

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第110話 皇位継承問題と正室・側室・妾

序文・不謹慎かも知れませんが、あえて問題提起してみました。

                               堀口尚次

 

 巷では、天皇皇位継承が問題となっておりますが、そもそも一夫一妻制での男系男子の皇位継承には、いささか問題があるのではないでしょうか。

 ちなみに第96代後醍醐天皇の場合は諸説あるが、実在が確実な后妃(こうひ)(正室)は8人、皇子(息子)は8人、皇女(娘)は8人である。

 明治天皇にも7人の側室がいたとされるが、15人の子をもうけ、その内5人が男だった。后妃は昭憲皇太后だが大正天皇の実母ではない。

 大正天皇には側室はおらず、貞明皇后との間に4人の男子をもうけ、長男が昭和天皇となる。

 そして昭和天皇は、2人の男子と1人の女子をもうけ、長男が今上(きんじょう)天皇となった。今上天皇の子には、男子はおらず、1人の女子だけとなる。こうして男系の男子皇位継続者は、昭和天皇の次男・秋篠宮文仁親王の長男一人となってしまった。(現状での皇位継承順位一位は皇嗣(こうし)である秋篠宮文仁親王

 このような状況の中、女系天皇女性天皇の問題がクローズアップされて来た。日本の歴史上、女性天皇は8人いるが、当然女系天皇はいない。これは、皇位継承など皇室に関する法律「皇室典範」の第1条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあるからだ。

 話は変わるが、世襲だった江戸時代の将軍家や各藩の藩主などには、正室・継室(けいしつ)〈正室に対する後妻〉・側室・妾(めかけ)と一夫多妻制度がしかれており、それでも世継ぎが出来ない場合に、将軍家であれば御三家や御三卿(ごさんきょう)から養子を立てて世襲させたりしたぐらい、男子で世襲を継続させる事は難しいのだ。

 ちなみに、徳川家康には16人の実子がいました。さらに、22人の養子・猶子(ゆうし)も含めると全部で38人の子供がいた。※猶子=養子よりもルールが厳しくない親子関係。単なる後見人としての関係であったりする。

 ここまで見て来ると、皇室にしても武家にしても封建時代だからこそ成り立っていたのが、世襲であり、皇位継承なのでなないだろうか。単純に考えても分る通り、男子が沢山生まれない限り、無理が生じる事は自明の理である。

 世界に類をみない「男系男子の皇位継承」をどう維持するのか。『万世一系(ばんせいいっけい)〈永久に一つの系統が続くこと〉』でなければ天皇でなくなってしまうのだろうか。答えは、皇室典範の改訂にしかないと思う。

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