ホリショウのあれこれ文筆庫

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第132話 沖縄の歴史

序文・沖縄人の魂は、悠久の歴史に刻まれている。

                               堀口尚次

 

 琉球王国時代に編纂された資料によると、保元の乱で敗れ伊豆に流された源為朝が追手から逃れるため沖縄本島に渡り、その子が初代琉球国王になったとされており、正史として扱われている。14世紀後半には三山王国が勃興し、中国(明)に朝貢(ちょうこう)〈皇帝に貢物をする〉し冊封(さくほう)〈君臣関係の外交〉を受け琉球貿易を行っていた。中山王が琉球を統一、琉球王国を建国した。周辺の先島諸島奄美群島にも版図を拡げるが、薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏、当時王国の支配下にあった奄美群島薩摩藩に割譲、王国は薩摩藩支配下におかれた(琉球侵攻。薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。この当時の日本本土と沖縄の関わりが、現代まで続く日本の南洋幻想の発端となった。

 近代に入り日本本土で明治維新がおこり開国したことを受け、日清修好条規が締結され清との間に外交関係が樹立された。しかし、その後に宮古島島民遭難事件が発生、明治政府は外交対処のために中央集権国家の確立を急ぎ、琉球藩が設置され、琉球国王尚泰を「琉球藩王」に封じて東京に藩邸を置いた。清との交渉後、台湾出兵となり、日本の航客に危害を加えないなどの統括権などがイギリス大使の調停による事後処理条約で確認され、清との外交事件が帰着した。明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置尚泰は東京の藩邸に居を移し華族となる。

 太平洋戦争では『国内最大の地上戦』と呼ばれる沖縄戦の戦場となった。米軍は沖縄本島読谷村の海岸に上陸、瞬く間に島の北半分を制圧、日本軍は米軍の総攻撃を受け南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、沖縄守備軍最高指揮官の中将らが自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。

 沖縄戦後、GHQの指令により南西諸島 は米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体(内務省知事下)としての沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治。米軍統治下で基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円〈アメリカ軍発行の軍票・紙幣〉、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。GHQの占領下にあった日本が主権回復した後も沖縄は引き続き米軍の統治下におかれた。同年、米軍政が終了、米国主導で新たに琉球政府を設置、本格的な琉球統治と復興に乗り出す。

 朝鮮戦争ベトナム戦争が勃発すると、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、戦略爆撃機枯葉剤核兵器といった大量破壊兵器が多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰するまでのわずか27年間で約100万人に倍増した。しかし米軍による強権的かつ差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。佐藤栄作首相とニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、沖縄は日本に施政権が返還され沖縄県が復活した(沖縄返還。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は県の主要な政治課題となっている。

 これが、琉球王国時代から、薩摩藩領時代、琉球藩を得て沖縄県へ至り、GHQによる統治から沖縄返還に至るまでの歴史の流れだ。

現状での最大の課題は、普天間基地移設問題であり、宜野湾市に設置されているアメリ海兵隊普天間飛行場の機能を果たす基地、施設を何処にどのような条件で設けるかという問題である。辺野古沿岸部の埋め立て工事が着工しているが、海洋自然破壊など様々な問題をはらんでいる。

 また特記すべき点に、沖縄は、差別や圧政との戦いの歴史であるという事だ。

琉球人による差別・大和人による差別・沖縄米軍による圧政・奄美出身者への差別・先島諸島民への圧政・混血児への差別・ハンセン病者への差別・精神障害者への差別・自衛官への差別などである。

 そして、けして忘れてはならないのが、太平洋戦争での約10万人に及ぶ沖縄民間人の犠牲者である。軍人・軍属・米軍の含めると、沖縄戦戦没者は20万人を超える。戦後の米軍統治時代には多くの慰安所が設置され、多くは朝鮮などから連行された女性だったが、沖縄島民の女性の中にも仕方なく働いた女性もいたという。

 辺野古沿岸部の基地移転問題でも、地元住民の中で賛成派と反対派に別れてしまっているのが実情だ。沖縄のかけがいのない自然を守る事が如何に重要な事であるかは全島民が把握してる事であろうが、経済的な支援など現実的な側面から、そして住宅地の真ん中にある、普天間基地が世界一危険な基地である事への妥結案としての辺野古沿岸部への基地移転問題という側面も抱えている。

 沖縄の人々は、自分達の事を「ウチナンチュ」といい、本土の人間を「ヤマトンチュ」と言う。志村けんの「変なおじさん」で有名になったコントは、沖縄出身ミュージシャン喜納昌吉(元参議院議員)のヒット曲「ハイサイ・おじさん」の替歌だ。因みに「ハイサイ」とは「こんにちは」という意味だそうだ。

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