ホリショウのあれこれ文筆庫

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第139話 目に見えないもの

序文・人の欠点はよく分るが、自分のことは棚上げ。

                               堀口尚次

 

 「ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから。」と歌った人がいたが、人間の美しさとは、目に見えないところにあるのだと思う。この歌手は、「誠実さのかけらもなく笑ってる奴がいるよ。隠しているその手を見せてみろよ。」とも歌っていた。人間とは、表面(おもてずら)とは別のところで、舌を出せる生き物なのだ。本音と建前とも云うが、生きて行く中では、それを上手に使い分けていかないと、出世競争や、しいては生存競争に遅れを取ってしまうからなのだろうか。

 だいぶんと昔に、「ボロは着てても心は錦(にしき)」と歌った人もいたが、どうしても人は、人を外見で判断してしまいがちだ。勿論、社会での第一印象は大切であり、身形(みなり)は整えて清潔であることがいいに決まっている。ただ、外見が悪いからと云ってその人間の心まで否定してしまうと、大変な過ちを犯すことになる。更にこの間違いは、差別や偏見に繋がっていくのだと思う。

 ある文化人が、「アメリカの黒人差別は、目に見える差別だが、日本の被差別部落差別は、目に見えない差別だから根が深い」と云うのを聞いたことがある。また、偏見となると見た目とは何の関係もなく、先入観と差別意識だけが先行している問題なのだ。

 これらの差別や偏見をなくすには、自らで教養を高め、自らで人格を磨いていくしかないのではないか。他者から指摘されたり、自覚がない内は、差別や偏見の思考から脱却できない。人の足を踏んずけているのに、その事に気が付いていない人は、足を踏んずけられている人の気持ちは分りようがないのだ。

 目に見えないものにも、大事な、大切なことが沢山あるように、人間は、目に見えない何かを信じるという「信仰」という概念を生み出した。この「信仰」というものは、宗教と密接に関わり合う訳だが、宗教は目に見える部分も重要としているので、ここではあえて『信仰心』としたい。『信仰心』は、信仰する人間自身の揺るぎない心から生まれるもの。だから大事にそして大切にしたい。

 「信じる者は救われる」と聞いたことがあるが違うと思う。それでは、信じないものは救われないことになってしまう。信仰とはそんな安っぽいものではないと思う。「信じることができた時はすでに救われている」とでも解釈したい。 最近一人でお寺や神社を巡拝しながら、すでに救われていることを実感した。

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