ホリショウのあれこれ文筆庫

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第146話 ペレストロイカ=リストラ

序文・崩壊させたんじゃなくて、再構築したのだ。

                               堀口尚次

 

 ペレストロイカは、1980年代後半からソビエト連邦で進められた政治体制の改革運動。

 ソビエト連邦共産党による一党独裁制が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、1985年に共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが提唱・実践した。あわせて進められたグラスノスチ(情報公開)とともに、ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。

 1987年のロシア革命70周年記念の軍事パレードの際、ロシア語で「民主主義、平和、ペレストロイカ、加速」と書かれた大きな立て看板がグム(国営百貨店)に立てかけられ、テレビ中継でアナウンサーが読み上げた。以降、ソ連国内に広く浸透していった。

 ゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したが、物資の不足により高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。現在では、共産圏の民主化を進めるとともに冷戦を終結させた政策として、主に旧ソ連以外の各国で高く評価されている。英語圏の国では「リストラクチャリング」や「リコンストラクション」と訳され、1980年代後半のイギリスのサッチャー政権やアメリカ合衆国レーガン政権で行われた行財政改革・産業構造の転換政策あるいは民間企業の組織再編成などを指して使われた。これは、日本で1990年代後半頃から使用されている「リストラ」の語源となった単語である。

 ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィンは、初代ロシア連邦大統領及び初代ロシア連邦閣僚会議議長(首相)を務めた。大統領在任中にソ連8月クーデター〈新連邦条約の締結を翌日に控えた1991年8月19日に、ソビエト連邦のモスクワで発生したクーデター〉に対する抵抗とソビエト連邦からのロシアの離脱を呼びかけてソビエト連邦の崩壊に導いた評価と共に、ロシアの威信の低下・腐敗した縁故資本主義〈政府官僚や企業役員との密接な関係がビジネスの継続に決定的な要因となっている「資本主義経済」を指す批判的な用語〉・議会と対決する強権的な政治手法・チェチェン紛争の泥沼化への批判もあった。

 しかし、かつてのソビエト連邦を崩壊させ、現在のロシア連邦の誕生に貢献したのは、ゴルバチョフエリツィンの二人に他ならない。米ソ冷戦の終結の功績から、ゴルバチョフノーベル平和賞も受賞している。エリツィンは、大変な苦難を抱え、紆余曲折の上、大統領にまで登りつめた努力家だ。ゴルバチョフとの確執もあったが、ソ連を民主主義の国へ変えた事実は功績として残る。

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ゴルバチョフエリツィン