ホリショウのあれこれ文筆庫

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第147話 B-29戦略爆撃機の脅威

序文・航空高度が高いので、日本の高射砲が当たらなかった。

                               堀口尚次

 

 正式名・ボーイング B-29 スーパーフォートレスは、アメリカのボーイングが開発した大型戦略爆撃機B-29は、最初から長距離戦略爆撃を想定した設計である。B-29による日本本土空襲は、日本の継戦能力を喪失させる大きな要因となった。機内冷暖房も完備され、搭乗員は通常の飛行服のみで搭乗していた。撃墜されたB-29乗員の遺体を日本側が回収した際、上半身Tシャツしか着ていない者もいるほど空調は完備されていた。それを知らない日本側は搭乗員に防寒着も支給できないとし、アメリカもまた困窮していると宣伝を行ったという。

 日本軍はB-29がハワイ島やミッドウェー島から日本本土へ直接飛来する可能性を考慮していた。東条英機陸軍大臣は「敵の出鼻を叩くために一機対一機の体当たりでゆく」と強調した。

 B-29による、日本本土初空襲の後アメリカは「この超空の要塞による第一撃は、“まことに全世界的な航空作戦”の開始であり、アメリカは航空戦力としてははじめての、最大の打撃を与えることができる成功無比で、威力絶大な爆撃機を持つに至った」という声明を発表した。

 サイパン島アメリカ軍の手に落ち、ついでグアム島テニアン島も攻略されて、南部マリアナ諸島アメリカ軍のものとなった。これにより、日本の主要都市のほぼすべてがB-29の攻撃可能範囲内に入ることとなった。その重要性を痛感した軍令部総長は当時の思いを「サイパンをうしなった時は、まったく万事休すでした。日本は文句なしに恐るべき事態に直面することになりました」と振り返り、防衛総司令官は「B-29は並外れた兵器であり、このような兵器に対抗する手段は日本にはもうなかった」と考えた。

 初空襲以降11回の東京近郊への爆撃は、心理的効果は大きいものの実質的な打撃は少なかった。その後開始された名古屋の航空機工場への爆撃では大きな打撃を受けた。日本軍の戦闘機による迎撃も激烈で3機のB-29を失い、焼夷弾爆撃は失敗に終わった。その後にも焼夷弾による実験攻撃が97機のB-29により名古屋に行われたが、効果は少なく、日本側に空襲恐れるに足らずという安心感が広まることになった。これは大きな誤りであったことがのちの名古屋大空襲を含む大都市への無差別焼夷弾爆撃により明らかになる。その後名古屋市街地と三菱発動機工場を中低空で焼夷弾攻撃したが、高高度精密爆撃では大きな損害を与えられなかった名古屋市街と工場に甚大な損害を与えて、完全に破壊してしまった。焼夷弾で焼失した建物のなかには名古屋城も含まれていた。

 そして、B-29エノラゲイ号はテニアン島から原子爆弾を搭載して飛び立った。

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※実際にB-29が投下した、爆撃予定都市のビラ。