序文・地獄の裁判官は、お地蔵さんだった。
堀口尚次
閻魔(えんま)は、仏教・ヒンドゥー教などでの地獄、冥界(めいかい)の主。冥界の王として死者の生前の罪を裁く神。日本の仏教においては地蔵菩薩の化身(けしん)とみなされ同一視されている。十王(じゅうおう)は、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官的な尊格。閻魔は、十王の一つで、三十五日目を担当する。
死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広(しんこう)王〈初七日〉・初江(しょこう)王〈十四日〉・宋帝(そうてい)王〈二十一日〉・五官(ごかん)王〈二十八日〉・閻魔王〈三十五日〉・変成(へんじょう)王〈四十二日〉・泰山(たいざん)王〈四十九日〉の順番で一回ずつ審理を担当する。七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回、平等王〈百ヶ日忌〉・都市王〈一周忌〉・五道転輪王〈三回忌〉となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道(ろくどう)〈仏教において衆生がその業(ごう)の結果として輪廻転生する6種の世界〉のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質、救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。
なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないをなくすための受け皿として機能していたようだ。
人間を初めとする全ての衆生は、よほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰(ちゅういん)と呼ばれる存在となり、初七日 - 七七日〈四十九日〉及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることとなる、という信仰である。
生前に十王を祀れば、死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、それを「預修(よしゅ)」と呼んでいた。十王は死者の罪の多寡(たか)に鑑(かんが)み、地獄へ送ったり、六道への輪廻を司るなどの職掌を持つため、畏怖(いふ)の対象となった。
なお、十王信仰は俗に、主に閻魔に対する信仰ととられる場合もある。これは、閻魔以外の諸王の知名度が低いせいであると考えられている。
因みに、閻魔王の法廷で参照される記録からの連想で、教員が生徒や学生の成績を決めるデータが記録してあるノートが俗に「閻魔帳」と呼ばれている。
『閻魔様に舌を抜かれる』は、「悪い事をすると、死んだ時に閻魔大王の裁きで舌を抜かれるからダメだよ!」、という親の教育の一環から生まれたものだが、
今では、大人の方が舌を抜かれることを平気でやっているのだ・・・。