ホリショウのあれこれ文筆庫

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第159話 空手バカ一代・大山倍達

序文・押忍!

                               堀口尚次

 

 大山倍達は、朝鮮半島出身の武道家〈格闘家〉であり、国際空手道連盟総裁・極真会館館長。段位は十段。 1970年代に週刊少年マガジンに連載された劇画『空手バカ一代』で、主人公として取り上げられた。

 幼少期は満州国朝鮮半島で育ち、16歳で日本一の軍人を志し、山梨県の山梨航空技術学校に入学。きつい肉体労働でアルバイトをしながら学校へ通い、当時難関であった陸軍士官学校へ入学する為の受験勉強も少ない時間の中で行うという苦学生の身であった。陸軍士官学校の受験に失敗し挫折するが、当時拓殖大学の学生であった木村政彦が、柔道界最高の栄誉であった天覧試合優勝を成し遂げた事に感動し、同じ拓殖大学に入学したとされ、同大学では司政科に在籍するが、政治家を志したらしい。石原莞爾主催の東亜連盟に参加する等の活動をするも、同年末に太平洋戦争が勃発。在学中のまま徴用工として徴用されるという大きな壁に直面し、政治家の志も挫折したとされる。終戦前に海軍の「特攻隊」に志願したが終戦を迎えて出撃ができなかったらしいという逸話もあるがそのような事実はない。〈これは梶原一騎原作の劇画「空手バカ一代」の主人公、大山倍達のキャラクター設定となっている〉終戦まで日本各地の飛行場を転々としていた。終戦後は千葉を中心に、日本の領土から離れた朝鮮半島の民族運動に参加したとする説もある。また、「山篭り」で空手修行に励んだともいう。

 昭和22年に京都で開催された戦後初の空手道選手権で優勝、その後は日本国籍を離脱し韓国籍となるものの、日本で活動を続ける。その後大山は、牛を素手で倒し〈合計47頭、うち4頭は即死〉、その映像は映画『猛牛と戦う空手』として公開された。昭和39年に極真会館を設立。

 「空手バカ一代」の爆発的人気により、伝説的存在として「大山神話」が広まったが、実際のところ戦後の一時期においては、敗戦という心の痛手のために、暴力団の用心棒稼業を行ったり、娼婦といちゃつく連合国軍の兵士を叩きのめして回り、指名手配されるなどの荒れた生活であった。連合国軍の憲兵隊から追われる身となった大山は一度逮捕されるが、すきを見て脱走。衆議院議員であった小沢専七郎の助力で身を隠すために仕方なく山梨・身延山、引き続き千葉・清澄山に山篭りすることとなった。双方の山は日蓮に関連している。

 私は、小中学生の頃に「空手バカ一代」を夢中になって読んだ一人だが、空手道の道を志すことはなかったが、身延山や清澄山での山籠もりの修行に心惹かれた思い出がある。大山倍達が敬愛した宮本武蔵の克己の精神に魅了された。

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