序文・統帥権を独立させなけらば幕府になってしまう
堀口尚次
統帥権とは、大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限〈最高指揮権〉のことをいう。
大日本帝国憲法第11条に定められていた、天皇大権のひとつで、陸軍や海軍への統帥〈軍隊を指揮運用する〉の権能を指す。その内容は陸海軍の組織と編制などの制度、および勤務規則の設定、人事と職務の決定、出兵と撤兵の命令、戦略の決定、軍事作戦の立案や指揮命令などの権能である。これらは陸軍では陸軍大臣と参謀総長に、海軍では海軍大臣と軍令部総長に委託され、各大臣は軍政権〈軍に関する行政事務〉を、参謀総長・軍令部総長は軍令権を担った。
狭い意味では統帥権は、天皇が軍事の専門家である参謀総長・軍令部総長に委託した戦略の決定や、軍事作戦の立案や指揮命令をする軍令権のことをさす。
明治憲法下で天皇の権能は特に規定がなければ国務大臣が輔弼(ほひつ)〈天皇への助言・進言〉することとなっていたが、それは憲法に明記されておらず、また、慣習的に軍令〈作戦・用兵に関する統帥事務〉については国務大臣ではなく、統帥部〈陸軍は参謀総長・海軍は軍令部総長〉が補翼(ほよく)〈政務を助ける〉することとなっていた。この軍令と国務大臣が輔弼するところの軍政の範囲についての争いが原因で統帥権干犯(かんぱん)問題が発生する。
なお、統帥権独立の考えが生まれた源流としては、当時の指導者〈元勲・藩閥〉が、政治家が統帥権をも握ることにより幕府政治が再興される可能性や、政党政治で軍が党利党略に利用される可能性をおそれたこと、元勲・藩閥が政治・軍事両面を掌握して軍令と軍政の統合的運用を可能にしていたことから、後世に統帥権独立をめぐって起きたような問題が顕在化しなかったこと、南北朝時代に楠木正成が軍事の無知な公家によって作戦を退けられて湊川の戦で戦死し南朝の衰退につながった逸話が広く知られていたことなどがあげられる。
統帥権の独立によって作戦に容喙(ようかい)〈口を挟むこと〉することができなかった東条英機首相兼陸相が国務・統帥の一元化を図って参謀総長を兼任した。また、嶋田繁太郎海相も軍令部総長を兼任した。このとき、参謀総長の杉山元と軍令部総長の永野修身が「統帥権独立」を盾に抵抗するなど憲法違反の疑いがあったが、東條は押し切った。このため、権力の集中した東條に対して「東條幕府」という陰口がきかれるようになった。