ホリショウのあれこれ文筆庫

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第177話 ペットや生き物の販売や飼育について

序文・野生もペットも家畜もみんな同じ生き物

                               堀口尚次

 

 過日、フランスでペットの販売禁止条例が施行されるというニュースを見た。日本においても、多頭飼育や飼育放棄など様々な案件で社会問題化している。私が小さい頃には、今ほどペットショップもなかったように記憶する。一口にペットといっても、犬猫だけではなく、鳥類や爬虫類、魚類や昆虫類など多岐にわたる。

 一時期に映画の影響もあり、日本のクジラやイルカの狩猟に対する国際世論がクローズアップされた時があったが、それこそ私が小学生の時には、給食でクジラの肉が出されていた。さすがにイルカの肉はなかったが、生物学的にはイルカもクジラの仲間なのだ。

 知能が高い哺乳類動物だから殺してはいけない〈狩猟禁止〉という理屈は通らないと思う。それこそ人間のエゴであり、そんなこといいだしたら、家畜なんて動物は自然界にいない訳で、人間が作り出した食べ物なのである。突き詰めれば、金魚とか養殖の魚なんてのも人間が作り出したものなのだ。

 私が仏教を勉強している時に出てきたが「人間は命(植物でも動物でも)をいただいて生きているのだから、いただいた命に感謝して、そのいただいた命のおけげで生かされているのだから、自分の命を大切にしなければならない。」と学んだように思う。

 犬も猫も野生にはいない、勿論当初はオオカミだったり、ヤマネコ系だったりしたんどろうが、長い人類の歴史のなかで、人間と共存するように進化してきたんだろうし、人間も交配改良なんかで、より人間に馴染むようにしてきたんだろう。

 ただ危惧されるのは、ペットショップという商売が繁盛する昨今、生き物〈生命〉が商品として販売されている物と錯覚してしまっている人がいるのではないか。勿論値段も付いているし、売れ残りの問題もあるし、昆虫や魚類などでは販売前に死んでしまい廃棄されるケースも多々あるという。販売する側も生き物〈生命〉を商品として捉え、在庫管理の一環に陥っているのが現状だろう。

 このペットショップ問題は、今に始まったことでもなく、昔から夜店で金魚やミドリ亀やヒヨコなども売っていたのだ。要は、命の大きさみたいな視点から社会問題になってきたような気がしてならない。

 願わくば、ペットと人間が仲良く共存でき、命の大切さを、そのペットから学んでいける世の中であってほしい。カゴの中の鳥は、飛べなくても幸せであってほしい。無論人間のエゴだが、鎖に繋がれていても幸せであってほしい。

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※画像と本分は関係ありません