序文・それにしても小説「夜明け前」は難解だった・・・
堀口尚次
島崎藤村は、明治5年生れ、信州木曽・中山道馬籠(まごめ)〈現在の岐阜県中津川市)の詩人・作家。ロマン主義詩人として詩集を出版。さらに小説に転じ、『破壊』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、姪との近親姦(かん)を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。
島崎家は、、代々陣屋〈宿場で身分が高い者が泊まった建物〉や庄屋〈村政を担当した村の首長〉、問屋〈宿場での雑務の長〉を務めた。父の島崎正樹は17代当主で平田派国学者だった。正樹は『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルで、藤村に与えた文学的影響は多大だった。明治2年から木曽谷の官有山林の地元への解放運動に奔走するが、同5年に戸長(こちょう)〈行政区の長〉を罷免される。同7年、上京して教部省考証課雇員として出仕するが、同年、明治天皇の輿(こし)に憂国の歌を書き記した扇子を投げたことで、不敬罪に問われた。同8年岐阜県水無神社の宮司となり、権中講儀を兼ねるが、同13年に辞職して帰郷した。同年、天皇の北陸地方巡幸に際し、憂国の建白を試みて叱責されるなど、挫折をくり返した末に発狂し、家内の座敷牢の中で死去した。
『破戒』は、誰よりも早く自我に目覚めた者の悲しみという藤村自身の苦悩を主人公に仮託しつつ、社会的なテーマを追求した作品とされる。被差別部落に生まれた主人公は、その生い立ちと身分を隠して生きよ、と父より戒めを受けて育った。その戒めを頑(かたく)なに守り成人し、同じく被差別部落に生まれた解放運動家を慕うようになる。主人公は、自らの出生を打ち明けたいと思い、口まで出掛かかることもあるが、その思いは揺れ、日々は過ぎる。やがて学校で主人公が被差別部落出身であるとの噂が流れ、更に解放運動家が壮絶な死を遂げる。その衝撃の激しさによってか、同僚などの猜疑(さいぎ)〈うたがい〉によってか、主人公は追い詰められ、遂に父の戒めを破りその素性を打ち明けてしまう。
『新生』では、島崎が姪の島崎こま子と近親相姦を起こした事が描かれ、こま子の父である次兄・広助の計らいによって隠蔽された。長兄・秀雄の口から、実は父親も妹と関係があったことを明かされた。
更に、島崎のすぐ上の兄が、母親の過ちによって生を受けた不幸の人間だったということも打明けている。
島崎藤村は、これらの様々な憂鬱(ゆううつ)を、文学という形で表現したのだ。