ホリショウのあれこれ文筆庫

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第179話 鳴らない釣鐘

序文・鳴らない釣鐘が、心に響く。

                               堀口尚次

 

 金属類回収令は、日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の激化と物資(武器生産に必要な金属資源)の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行う目的で制定された日本の勅命〈天皇が国家機関に直接下した命令〉。

 各地では学校にある二宮金次郎や地元の偉人の銅像なども供出されたが仙台城にあった伊達政宗の騎馬像は供出されたものの、上半身が放置されていたなど、資源化が間に合わなかった事例もある。終戦直後の島を舞台とした横溝正史の小説『獄門島』では、供出され本土へ運ばれた寺の鐘が使われないまま戻ってくる場面がある。

 寺院では鐘楼の鐘や大仏像などは回収対象となり、1942年ごろに書面での調査が行われたが、宗教界からの反発や国宝級の仏教美術品を失うことを防ぐため、除外対象や猶予が設定された。また神社においても西宮神社狛犬像など免れた例もあった。2020年、本願寺派では、金属供出を含む戦時中に寺が対応した内容の調査を開始した。

 金属類回収令を受け、日用品の素材として防衛食容器などの「代用陶器」が開発された。当初は通常の陶磁器の域であったが、製造時にベークライト〈人工プラスチック〉などを混合することで鉄器に近い強度を持たせることに成功した。仏具でも陶器やセメントによる代用品が開発された。

 戦後、供出された軍人像の跡を埋めるように歴史性、政治性の薄い女性の裸体像が置かれる(例:平和の群像)ようになり、新たに設置される場所にも裸婦像が進出した。このため日本国内では男性の裸体像よりも女性の裸体像が格段に多い状況が生み出されている。

 町や村にあったお寺の釣鐘は、当然のごとく対象となり、供出されていった。しかしながら、お寺の釣鐘は、鐘楼という釣鐘を吊るす専用の建物となっており、その釣鐘を重石として、釣鐘の重量で鐘楼が固定されるような構造になっているものが多かった。そこで、供出された釣鐘の代わりに「石やコンクリート」で出来た、いわば『鳴らない釣鐘』を吊り下げていたお寺もあったのだ。

 瀬戸物で有名な愛知県瀬戸市のお寺には、陶器でできた「鳴らない釣鐘」が今でも保存されている。

 戦争は、あらゆるものを犠牲にして遂行されていたことがわかる。有名で歴史的価値の高い、京都や奈良のお寺の鐘は供出を免れている。そして京都や奈良は空襲対象からも外され焼失を免れている。勿論よかった面も多々あるのだが、痛い目に合うのは、昔からいつも弱い立場の、庶民の足元ばかりである。

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※陶器製の釣鐘          ※コンクリート製の釣鐘