ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第180話 どこか懐かしい、歌や詩。

序文・日本語の響きっていいですよね

                               堀口尚次

 

 唱歌この道』作詞・北原白秋、作曲・山田耕作「この道はいつか来た道ああそうだよあかしやの花がさいてる」郷愁を誘うなんともいえないメロディでした。小学校の音楽室に、山田耕作肖像画が掲げてあった記憶があります。 

 私の脳裏に焼き付いているのが、昭和40年代のサーカスやチンドン屋さんが奏でる楽曲として有名な『美しき天然』だ。日本初のワルツ〈三拍子〉として、なんとも哀愁のある曲でした。いまやチンドン屋もみないなぁ~

 『蛍の光』は、スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」を原曲とした日本の唱歌である。これは四拍子だが、日本では、多くの公共施設や商業施設において、閉館・閉店直前のBGMとして流されるという認識が多い「蛍の光」だが、実際は「蛍の光」の原曲「オールド・ラング・サイン」を三拍子に編曲したものであることが多い。日本では「別れのワルツ」として知られている。私は職業経験上、この曲を聞くとそわそわしてしまう。

 『仰げば尊し』は卒業式の定番で、八分の六拍子の曲だ。「仰げば尊し我が師の恩 教の庭にもはや幾年 思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめ いざさらば」別れめの『め』のところをフェルマータで延ばすんでしたよね~♪

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、あまりにも有名だが、賢治の死後発見された作品らしい。「雨ニモマケズ風ニモマケズ~(中略)~ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」仏教〈法華経〉を信仰していた賢治は、死の直前にも「南無妙法蓮華経」を唱えていたという。

 堀口大學(だいがく)の訳詩「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」は、『耳』というタイトルで、フランスの詩人コクトーの短い一行詩だ。なんと表現していいのかわからないが、哀愁が漂う気持ちのいい詩(うた)だ。

 石川啄木の「はたらけどはたらけど 猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」は、歌集「一握(いちあく)の砂」の一文だ。啄木は社会主義に傾倒していたようだ。

 学校唱歌では、「赤とんぼ」「ふるさと」など懐かしくもあり、名曲だと思う。

 【おまけ】志村けんの「カラスなぜ鳴くの カラスの勝手でしょ~」は傑作でしたね。こんなことに目くじらを立てている大人〈PTA〉が逆に恥ずかしい。余談ですが、私は荒井注が好きでした。This is a pen!

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