ホリショウのあれこれ文筆庫

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第184話 連合赤軍・あさま山荘事件の総括

序文・当時テレビにくぎ付けだった

                               堀口尚次

 

 連合赤軍とは、1971年から1972年にかけて活動した日本の極左テロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派京浜安保共闘革命左派が合流して結成された。連合赤軍は、思想的には毛沢東主義を掲げており、その影響を示すものとして、「自力更生」という毛沢東主義の言葉が使われていた。

 あさま山荘事件は、山岳ベースから逃亡した連合赤軍メンバーが、宿泊施設〈カワイ楽器の保養施設〉を占拠して起こした人質篭城事件で、銃器〈銃器店から強奪〉で武装した若者らは9日間にわたり警察とにらみ合った。この模様はテレビで中継され、警察官を含む3名が死亡。社会に強い衝撃を与えた。

 当時の後藤田警察庁長官は、人質の救出と犯人の逮捕を前提に、長野県警・警視庁・警察庁の合同部隊に対して、銃器の使用を許可しなかった。放水と麻酔銃による作戦が続く中、後藤田は「犯人を射殺してはならない、奴らは死ねば殉教者になってしまう」と言ったという。

 犯人の親御さんも掛け付けて、マイクで呼びかけていた。「貴方がしたかったことはこんなことじゃないでしょ、世の中を変えたかったんでしょ」との悲痛の説得にもまったく応じなかった。

 連合赤軍は、しばしば「総括」と称して各人に政治的な反省を迫ることがあった。これはやがて、本人の自覚を助けるとして、周囲の者が総括をされる対象者に対し、意見や批判を行うものに発展した。山岳ベースでの連合赤軍においてはこれが破綻し、リーダーらは総括に暴力を用いるようになった。一人の人間に対し、仲間全員が暴力を用いて厳しい反省を強要するようになり、実質的なリンチと粛清が展開されるようになった。被害者も政治的指向から、激しい暴力を伴うこの行為にほとんど抵抗しなかった。

 連合赤軍メンバーは、クアラルンプール事件〈日本赤軍が在マレーシアのアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら52名を人質として、日本国内の刑務所に収監中の囚人解放を要求したテロ事件〉の際に、超法規的措置で釈放・国外逃亡し、現在も国際指名手配されている坂東國男と、東京拘置所で自殺した最高指導者の森恒夫を除き、15人のメンバーに判決が確定した。

 テレビのドキュメンタリー番組で、連合赤軍の元メンバーが親戚の叔父に「社会を正しく導くというが、お前たちは、誰か一人でも救ったのか?」という一言で運動家を辞めた過去話や、立てこもり事件で当時は未成年だった加藤倫教らがテレビ出演した。60代になった現在は自民党の党員になって保守思想へ転向しており、連絡の取れる元メンバーらも転向していたことなどが明かされた。

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