ホリショウのあれこれ文筆庫

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第194話 山本五十六の「やってみせ」

序文・日米開戦回避だったが・・・男の修行

                               堀口尚次

 

 山本五十六は、海軍軍人で最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。日本が真珠湾攻撃で、対米戦争の火蓋を切った時の総責任者。

 山本は連合艦隊司令長官に任官されることを拒み、吉田善吾が海軍大臣に内定された際、吉田の下で次官として留まり日米開戦を回避出来るように補佐する事を要望して、米内光政・海軍大将に人事の撤回を強く要求したが認められなかった。連合艦隊司令長官就任は采配・指揮能力を買われたものではなく、三国同盟に強硬に反対する山本が、当時の軍部内に存在した三国同盟賛成派勢力や右翼勢力により暗殺される可能性を米内が危惧し、一時的に海軍中央から遠ざけるためにこの人事を行った。

 日米開戦前には、近衛文麿総理大臣に対し以下の様に語っている。

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」と、山本はどこまでも開戦反対の姿勢を保っていた。真珠湾攻撃の直前まで、「日米交渉がまとまり和平の道が開けたら、直ちに帰還するように」と命令していたが、そんな山本の心中とは裏腹に、運命は日米開戦へと動き出したのだ。そして山本はその先頭で指揮を執るという連合艦隊司令長官の重責を担う事となった。

 前線を視察中の山本は、ガダルカナル島から搭乗した際に、アメリカ軍戦闘機に撃墜され戦死した。山本の行動は、暗号解読に成功していたアメリカ軍の把握することとなっていた。アメリカ側には、山本のような日本に於いての有名人を殺害することは、日本国内に政治的反動〈山本殺害による対米憎悪の増大や、それに伴う戦意の高揚〉を引き起こす懸念もあり、慎重になる必要があった。そこで、太平洋艦隊司令長官は先にルージベルト大統領の許可をとった上で、最終的な命令を司令官に下した。

 『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。』 やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。は、山本の格言として有名である。これは上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」から影響を受けているとされる。「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」という『男の修行』は経営者や指導者のための格言になっている。

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