ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第213話 アサギマダラの不思議

序文・渡り蝶と叔父の出合い

                               堀口尚次

 

 アサギマダラは、チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科に分類されるチョウの1種。翅(はね)の模様が鮮やかな大型のチョウで、長距離を移動することから、渡り鳥ならぬ「渡り蝶」と呼ばれる由縁だ。

 私が、この蝶に興味を持ったきっかけは、亡くなった叔父が生前に執筆した「アルピニストの思い出」という書籍に登場することからだ。叔父は若い頃から登山を愛好し、園芸業〈洋ランの栽培等〉の傍ら登山を愛し続け、若い頃の思い出として執筆したのだ。

 本によると叔父は、新聞から「この蝶は石垣島で生れ、春に偏西風に乗って日本列島の中部地方から東北地方に飛来し、秋になると再び南西諸島や石垣島まで千八百キロの渡りをする蝶であることを知った」とある。叔父は若い頃に三重県鈴鹿山麓で出会ったアサギマダラの美しさが忘れられず、約20年後に園芸の仕事で訪れた愛知県の奥三河でアサギマダラに再会したことの不思議をしみじみ回想している。そして新聞から得た情報として「中部地方以東のアサギマダラは伊良子(いらこ)岬〈愛知県渥美半島〉に集まり、ここで南西諸島方面への風が吹くのを待ち、その風にのって石垣島へ飛び立つ」と。

 そして叔父はその章の終りでこう綴(つづ)っている。『その旅にどんな試練が待ち受けているかは知らないが、それは自然の摂理であるから致し方ない。しかし壮大な自然の摂理の渦の中に突入しようとしている彼等にちょっかいをかけてはいけない。我々に出来ることはそっと彼等を見送ってやる事だけだ』

 思えば、叔父の一生も会社の脱サラから、放浪の登山人となり、鈴鹿山麓に住み着くという異色のものだったそうだ。自然の厳しさと戦い、その中でつかんだ自然の美しさやすばらしさに魅了されていったのだろうか。一人で始めた園芸農家の仕事も自然が相手の仕事だ。私は幼少の頃、叔父のビニールハウスに手伝いに行った記憶がある。叔父のテントを借りて自宅の庭でキャンプの真似事をしたこともあった。

 アサギマダラの渡りも摩訶不思議だが、私には叔父の生き方がアサギマダラにかぶって見えた。叔父は人生の試練をアサギマダラの渡りの試練に置き換えて生きていたのではないか。晩年の叔父は病魔の早期治療を受けず、自然に帰って行ったのだ。天国の叔父がアサギマダラと再会していることを望む。

f:id:hhrrggtt38518:20220119075610j:plain