序文・表裏一体の見方
堀口尚次
シンガポール華僑(かきょう)粛清事件とは、日本軍の占領統治下にあったシンガポールで、日本軍(第25軍)が、中国系住民多数を掃討作戦により殺害した事件。戦犯裁判(イギリス軍シンガポール裁判)で裁かれた。
イギリス軍が日本軍の第25軍に降伏し、日本軍はシンガポールを占領した。
同月21日に、第25軍司令部は、アヘン麻薬貿易組織・抗日分子や旧政府関係者の摘発・処刑のため、シンガポールの市街地を担当する昭南警備隊、シンガポール島のその他の地域を担当する近衛師団、マラヤ半島のジョホール州を担当する第18師団およびジョホール州以外のマラヤ全域を担当する第5師団に粛清を命じ、シンガポールを含むマレー半島で掃討作戦が行われることとなった。
第25軍の山下奉文(ともゆき)軍司令官は、河村少将に、軍の主力部隊を速やかに新作戦へ転用するため、アヘン麻薬貿易禁止に反対してシンガポールの治安を乱し、軍の作戦を妨げていた華僑「抗日分子」を掃討することを指示した。作戦の詳細については軍参謀長の中将、軍参謀の中佐から指示があり、選別対象は元義勇軍兵士、共産主義者、略奪者、武器を所持・隠匿している者および抗日分子となるおそれのある者とすること、掃討の方法として、中国人の住民を集めてアヘン麻薬貿易組織員や抗日分子を選別、並行してアジトを捜索して容疑者を拘束し、秘密裏に処刑することなどが伝えられた。
山下軍司令官の名で「シンガポール在住の18-50歳の華僑は21日正午までに所定の場所に集合せよ」とする警備隊命令が布告された。集合場所に集まってきた華僑を尋問し、選別された華僑をトラックに載せて海辺や山中に連行し、機銃掃射により殺害した。殺害の対象となった「アヘン麻薬貿易組織」「抗日分子」の選別は、事前に取り決めた名簿に照合する方法で厳密に行われていたわけではなく、参謀が現場を訪れて「シンガポールの人口を半分にするつもりでやれ」と指示を飛ばすなど、粛清する人数そのものが目的化されていたため、外見や人相からそれらしい人物を適当に選び出していた。このため、多数の無関係のシンガポール華僑が殺害された。犠牲者の総数は5万人という計画だったようだが、シンガポールの調べでは8600人余りとなっている。マレー半島やシンガポール攻略の武功により「マレーの虎」と云われた山下奉文大将には、こんな闇も潜んでいたのだ。戦争とは、多方面から評価する必要があるものだ。