ホリショウのあれこれ文筆庫

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第216話 靖国神社に建つ大村益次郎

序文・トコトンヤレ

                               堀口尚次

 

 『宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは何じゃいなトコトンヤレトンヤレナあれは朝敵征伐せよとの錦の御旗(みはた)じや知らないかトコトンヤレトンヤレナ』トンヤレ節で有名なこの歌は、大村益次郎が作曲したとされる。「宮さん」とは、戊辰戦争時に新政府の総裁で東征大総督を兼任した有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王のこと。新政府軍が江戸へ攻め上る時に兵士らが歌ったとされる。

 大村益次郎は、幕末の長州藩士で、戊辰戦争では東征大総督府補佐となり勝利の立役者となった。太政官制において兵部省初代大輔(次官)を務め、日本陸軍創始者、陸軍建設の祖とされる。大村は、シーボルトの弟子に医学や蘭学を学び、大阪では、緒方洪庵適塾に学んだ。その後、帰郷して村医となった。そして伊予宇和島藩に招かれ、西洋兵学蘭学を講義した。

 江戸で、長州藩桂小五郎(後の木戸孝允)と知り合い、長州藩士となる。幕府による二度の長州征討では、大村が兵学者として活躍した。戊辰戦争になると、大村は、京・伏見の兵学寮で各藩から差し出された兵を御所警備の御親兵として訓練し、近代国軍の基礎づくりを開始する。そして江戸城無血開城となるが、このころ江戸は、旧幕府残党による彰義隊約3千名が上野寛永寺に構え不穏な動きを示したが、西郷隆盛勝海舟らもこれを抑えきれず、江戸中心部は半ば無法地帯と化していた。新政府は大村の手腕を活かして混乱を収めようとした。果して大村は制御不能となっていた大総督府の組織を再編成すべく、目黒の火薬庫を処分し、兵器調達のために江戸城内の宝物を売却、奥州討伐の増援部隊派遣の段取りを図るなど、矢継ぎ早に手を打っていった。また江戸市中の治安維持の権限を勝海舟から委譲され、同日には江戸府知事兼任となり、いよいよ市中の全警察権を収めた。

 こうして満を持した大村は討伐軍を指揮し、わずか1日で彰義隊を鎮圧する。この上野戦争の軍議で薩摩の海江田信義と対立、大村が発した「君はいくさを知らぬ」の一言に、海江田が尋常ではない怒りを見せたこと等が、海江田による大村暗殺関与説の根拠となっている。大村は、京都での会食中に刺客に襲われる。兇徒(きょうと)が所持していた「斬奸(ざんかん)状」では、大村襲撃の理由が兵制を中心とした急進的な変革に対する強い反感にあったとされる。この時の怪我が元で大村は死去した。今も靖国神社に建つ大村益次郎の像は、威厳に満ちている。

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