ホリショウのあれこれ文筆庫

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第222話 大隈重信なのであるんである

序文・旧肥前藩士から明治新政府の中枢へ上り詰めた男

                               堀口尚次

 

 大隈重信は、参議・大蔵卿・内閣総理大臣外務大臣・農省務大臣・内務大臣・枢密顧問官を歴任し、報知新聞の経営や、高等教育機関を育成するために力を注いだ教育者でもある。

 幕末佐賀藩の上士の家に生まれて志士として活躍し、明治維新期に外交などで手腕をふるったことで中央政府の首脳となり、明治政府の最高首脳の一人にのぼり、明治初期の外交・財政・経済に大きな影響を及ぼした。

 早稲田大学の創設者であり、初代総長を勤めた。早稲田大学学内では「大隈老侯」と現在でも呼ばれる。

 外務大臣の時に、国家主義・右翼活動家による爆弾襲撃事件で一命を取り止めたが、「爆裂弾を放りつけた奴を、決して気違いの人間で、憎い奴とは寸毫(すんごう)も思わず。」「華厳の滝に飛び込む弱虫〈旧制一高=後の東京大学 の学生が自殺し社会問題になった〉よりは、よっぽどエライ者と思うておる」「いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。」と語っている。

 日本最初の鉄道が新橋~横浜間に建設された際、そのゲージ〈軌間(きかん)〉を1,067ミリメートル〈狭軌(きょうき)。現在のJR在来線の軌間〉に決めたのは大隈である。イギリス人技師の説明を聞いて大隈が決めたのだが、両者ともに「日本の鉄道なら狭軌で十分」という感覚だったといい、「我輩の一世一代の失策」と大隈は後日語っていたという。日本の改軌(かいき)論争においては、発祥時に1067mm軌間を採用した日本の国有鉄道が、1435mmの基準軌へ軌間を変更しようとした運動が起きた。

 幕末明治維新時に幕府役人が去った長崎の管理を行うために、藩命を受けて長崎に赴任したした時、大規模な隠れキリシタンの弾圧事件について各国政府との交渉が行われており、大隈はイギリス公使パークスとの交渉で手腕を発揮し、この問題を一時的に解決させている。交渉が始まるとパークスは「大隈ごとき身分の低い小役人とは話はできぬ」と激怒したというが、大隈は、欧州の戦争や宗教の歴史を持ち出し抗弁し、最終的にキリスト教禁止令を通したのだ。

 因みに、2021年のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」での大隈重信の言動でもそうであったが、「~であるんである」は実際の口癖だったようだ。

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