ホリショウのあれこれ文筆庫

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第227話 軍部大臣現役武官制の問題点

序文・軍部の暴走はここから始まった

                               堀口尚次

 

 軍部大臣現役武官制とは、大日本帝国憲法下の日本において制定されていた、軍部大臣〈陸軍大臣海軍大臣〉の就任資格を現役の大将・中将に限定する制度である。現役武官に限るため、文官〈軍人以外の者〉はもちろん予備役・後備役〈一般社会で生活している軍隊在籍者〉・退役軍人にも就任資格がないのが原則だったが。

 日本では、明治4年兵部省職員令により当時の軍部大臣に当たる兵部卿の補任資格を「少将以上」の者に限っていたが、その後資格を軍人に限定しない時期も存在した。その後、政党政治の高まりから、軍政に政党政治が浸透してくるのを防止するため、明治33年に山縣有朋内閣が軍部大臣の補任資格を現役の武官の大将・中将に限るという軍部大臣現役武官制を規定した。現役とは平時軍務に従事する常備兵役を指し、現役武官の人事は天皇大権の内の統帥権に属し、国務を司る内閣の関与は基本的に不可能であった。このため、軍部大臣現役武官制の採用によって、明治憲法下の内閣総理大臣が「同輩内の主席」でしかなく組閣に軍部の合意が事実上必要となっていたことから、軍部によるその意向に沿わない組閣の阻止が可能となった。また、たとえ一度組閣されても、内閣が軍部と対立した場合、軍が軍部大臣を辞職させて後任を指定しないことにより内閣を総辞職に追い込み、合法的な倒閣を行うことができ、軍部の政治進出の梃となっていた。

 しかし、日露戦争後の国際状況の安定や政党政治の成熟により大正政変に見られるような軍閥批判が高まり、大正2年に発足した山本権兵衛内閣より軍部大臣の補任資格が予備役や後備役の将官にまで拡大された。

 昭和11年に起きた二・二六事件を契機とした軍部の政治進出の中で発足した廣田弘毅内閣では問題を起こした退役軍人の影響を排除するためという名目で軍部大臣現役武官制を復活させた。以降昭和20年の敗戦により軍部大臣が消滅するまで続くことになった。欧米諸国においては、文官が陸海軍大臣に就任する場合も少なくなく、シビリアン・コントロール文民統制〉の理念が守られていたが、日本では軍が自らの政治的要求を実現する道具に軍部大臣現役武官制を利用して政治進出を行ったとして批判される。

 国〈政治〉の代表が武力を掌握すると、江戸時代の「幕府」のようになるので、統帥権〈軍事力は天皇へ預けた形〉を内閣総理大臣から切り離したはずだったのに、内閣に属する陸海軍大臣が現役武官であり、統帥権の下にある事が矛盾を発生させた。このことは日本がやがて戦争に突入した原因の一つなのだ。

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