ホリショウのあれこれ文筆庫

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第229話 摂政・関白・太政大臣

序文・今も昔も名誉職や権威が必要                       

                                 堀口尚次                                                

 摂政(せっしょう)は、君主制を採る国家において、君主が幼少、女性、病弱である等の理由で政務を執り行うことが不可能、あるいは君主が空位であるなどの場合に、君主に代わって政務を摂ること、またはその役職のこと。鎌倉時代以降、藤原北家御堂流は近衛家一条家鷹司家九条家二条家五摂家に分かれ、代々そのうち最も官位の高い者が摂政・関白に任ぜられる例となって、明治維新まで続いた。藤原氏以外で摂政となった人物は、平安時代から江戸時代までには存在しない。因みに、昭和天皇は皇太子時代に、病状の大正天皇に変わり政務を執り、五年間に亘り摂政となっている。

 関白は、成人の天皇を補佐する官職である。令外官(りょうげのかん)〈律令の令制に規定のない新設の官職〉であり、また、実質上の公家の最高位であった。天皇が幼少または病弱などのために大権を全面的に代行する摂政とは異なり、関白の場合、成人の天皇を補佐する立場であり、最終的な決裁者はあくまでも天皇である。従って、天皇と関白のどちらが主導権を取るとしても、天皇と関白が協議などを通じて合意を図りながら政務を進めることが基本となる。藤原氏以外で関白となった豊臣秀次の1名である。(秀吉は近衛家猶子(ゆうし)〈実親子ではない2者が親子関係を結んだときの子〉、藤氏長者(とうしのちょうじゃ)〈藤原氏の代表者〉、藤原秀吉として関白になる。)

 太政大臣は、太政官〈最高行政機関〉の長官。前近代日本の律令官制と明治時代の太政官制における朝廷の最高職。定員1名で、律令下においては具体的な職掌のない名誉職で、適任者がなければ設置しない則闕(そっけつ)〈適任者がいない時は欠員とする〉の官とされた。明治の太政官では天皇の役割を代行する政府首脳としての官職であった。平清盛は、武士として初めて太政大臣に任じられるが、それこそ名誉職であり、公家の摂政を補佐する立場から我が世の春を謳歌したのだ。

 追記だが、征夷大将軍は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を追討するという意味。武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府室町幕府江戸幕府が〈一時的な空白を挟みながら〉続いた。慶応3年徳川慶喜大政奉還を受けた明治新政府王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。

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