ホリショウのあれこれ文筆庫

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第234話 野口英世の改名と実像

序文・学者の顔と裏の顔

                               堀口尚次

 

 野口英世は貧しい農家に生まれ、1歳で左手に大火傷を負ったハンディキャップを克服してほぼ独学のみで医師となり、さらには細菌学者として一時は世界的な名声を得た。21世紀の現在に至るまで、日本では子供向けの偉人伝が多数刊行され続けており、医学研究者としては非常に知名度が高い。

 清作(せいさく)〈22歳で英世と改名〉は、左手の障害から農作業が難しく、学問の力で身を立てるよう母に諭される。小学校の頃は、左手に大火傷をしていたので、「清ボッコ」と言われていじめられていた。左手の障害を嘆く清作の作文が教師や同級生らの同情を誘い、清作の左手を治すための手術費用を集める募金が行われ、会津若松で開業していたアメリカ帰りの医師の下で左手の手術を受ける。その結果、不自由ながらも左手の指が使えるようになる。清作はこの手術の成功に感激したことがきっかけで医師を目指すこととなった。

 知人からすすめられて、坪内逍遥の流行小説を読んだところ、弁舌を弄(ろう)し借金を重ねつつ自堕落な生活を送る登場人物・野々口精作が彼の名前によく似ており、また彼自身も借金を繰り返して遊郭などに出入りする悪癖があったことから強い衝撃を受け、そのモデルであると邪推される可能性を懸念し改名を決意する。郷里の小林に相談した結果、世にすぐれるという意味の新しい名前“英世”を小林から与えられた。本来、戸籍名の変更は法的に困難であるが、野口は別の集落に住んでいた清作という名前の人物に頼み込んで、自分の生家の近所にあった別の野口家へ養子に入ってもらい、第二の野口清作を意図的に作り出した上で、「同一集落に野口清作という名前の人間が二人居るのは紛らわしい」と主張するという手段により、戸籍名を改名することに成功した。

 野口の父の佐代助は酒好きの怠け者であり、野口家の貧困に拍車をかけた人物として、伝記では批判の対象とされることが多いが、佐代助本人は特に悪人というわけでもなく、性格的にはむしろ人好きで好印象な人物であったと言われる。後年、野口が恩師や友人たちを巧妙に説得して再三にわたり多額の負債を重ね、「借金の天才」とまで呼ばれたほどの野口の要領の良さ・世渡りの上手さは、良くも悪くも佐代助から受け継いだ才能であったといわれている。ただし野口は、酒好き放蕩好きな浪費家という佐代助の欠点をも受け継いでいるが、伝記では伏せられることが多い。世界的な細菌学者の裏の顔は、人間くさい、酒好きの女たらしの側面もあったのだ。

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