ホリショウのあれこれ文筆庫

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第237話 不正車検問題の闇

序文・氷山の一角かもしれない

                               堀口尚次

 

 アサリの産地偽装問題も同じだが、客〈消費者〉がわからなければ即座に問題にならないサービスなどは五万とある。「わからなければ何をやってもいい思想」は、この日本に蔓延していると思う。

 他人が見ていないところでは飼い犬の糞の始末をしない輩(やから)、人気(ひとけ)のない場所へ不要物を不法投棄する輩、ゴミ出し日を守らない輩、車からポイ捨てする輩、など例を挙げたら枚挙に暇(いとま)がない。

 不正車検の問題は、組織ぐるみであり末端の従業員は犯罪行為に巻き込まれた感も否めない。しかし、事は犯罪であることの自覚が欲しかった。車検時間短縮という至上命令〈自由競合〉の中でエスカレートしていき、いつの間にか管理者も率先して麻痺していったのだろう。本来安全第一であるべきの車検制度が、価格〈時短サービス〉ありきの競争に陥ってしまったのだ。

 この問題の根の深いところは、そもそもの車検制度自体にも問題がありそうだ。制度が出来上がってから、車は格段の進化を遂げている一方で旧態依然の車検項目なのだとか。その上での時短要請であれば、「やってもやらなくても問題ない項目」に関しては「やったことにしておく判断」が優先されたのか。

 産地偽装問題は、過去からあり消費者での判断が不可能な点からも根が深い。

この問題の究極は、「信用・信頼」に行きつく。無農薬と表示されていても消費者には分らないし、生産者の顔写真や氏名まで表示されている野菜にしても「信用」するしかないのだ。

 車検問題にもどるが、こちらも車検を依頼したところを「信用」して高額な車検代金を支払っているのだ。車検項目見過ごしの落ち度により事故に繋がる故障などが発生した場合の損害の責任は、当然負う事になるが、なにより「信用」はなくなり「信頼」を裏切った代償は大きい。

 人間社会は、特に自由主義の資本主義社会では、金銭の自由なやり取りで世の中が動いているのだが、その根底には必ず「信用・信頼」が当たり前のように前提となっている。「信用・信頼」を蔑(ないがし)ろにした行為は、この社会秩序から排除されるべきであり、当然に自然と淘汰されていくのだ。

 信用を無くしている企業は、内側から腐っていく自分自身に気が付いていないのだ。批判は必要だが、自分が襟を正しているかを自問しなければならない。

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