序文・「恥ずかしながら生きながらえておりました」
堀口尚次
横井庄一さんは、元陸軍軍人で、最終階級は軍曹。太平洋戦争終結から28年目、アメリカ領グアム島で地元の猟師に発見された残留日本兵として知られる。
小野田寛郎さんは、元陸軍軍人で、最終階級は予備陸軍少尉。情報将校として太平洋戦争に従軍し遊撃戦〈ゲリラ戦〉を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。
アジアや太平洋の各地に駐留した旧日本軍将兵は1945年8月の終戦により現地で武装解除、除隊処分とされ、日本政府の引き上げ船などで日本へ帰国し復員した。しかし、その一方で様々な事情から連合国軍の占領下におかれた日本に戻らず、現地での残留や戦闘の継続を選んだ将兵も多数存在した。
1.終戦を知らされず、あるいは信じず 現地で潜伏し作戦行動を継続したもの。
2.第二次世界大戦後、欧米諸国の植民地に戻ったアジアの各地で勃興(ぼっこう)〈にわかに勢力を得て盛んになる〉した独立運動に身を投じたもの。
3.市街地への空襲や原子爆弾による日本本土の惨状を伝え聞き、家族の生存や帰国後の生活を絶望視したり、復員船は撃沈されるというデマを信じたもの。
4.日本で戦犯として裁かれることを恐れたもの。
5.現地語の話者である、あるいは土地勘や地縁があり、復員するよりも現地社会で生きていくことを望み、残留したもの。
6.技師やビジネスマンとしての才覚を買われ、現地政府に招聘(しょうへい)〈 礼儀を尽くしてていねいに人を招く〉を受ける、或いは半強制的に現地に留め置かれる形で残留したもの。
その他、多くの理由により日本本土への帰国を断念し、現地にて生活基盤を築くことになった。
大阪経済法科大学で教鞭を執る傍ら研究・執筆活動を行っている林英一は、残留日本兵の総数は各国合計で約1万人であったとしている。
上記の太平洋戦争における日本の敗戦に伴い発生した事例とは異なり、ソビエト連邦やモンゴル人民共和国には太平洋戦争勃発以前から「残留日本兵」が存在していた。その殆どはノモンハン事件の際に捕虜となり、共産主義に転向したり、現地のロシア人女性と結婚するなどして、共産圏の民として生きる事を決意したものたちであり、最終的に約800名が残留日本兵となった。