ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第249話 旧優生保護法と除斥期間

序文・司法の役割

                               堀口尚次

 

 優生保護法とは、昭和23年から平成8年まで存在した法律である。優生と母体保護を目的とし、不妊手術、人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたものであったが、優生思想に基づく部分は障害者差別であるとして削除され、1996年に母体保護法に改められた。

 戦後の優生保護法の背景になったのは、戦後の治安組織の喪失・混乱や復員による過剰人口問題、強姦による望まぬ妊娠の問題であった。

 母胎保護の観点から、多産による女性への負担や母胎の死の危険もある、流産の恐れがあると判断された時点での堕胎の選択肢の合法化を求めた。彼女らは、死ぬ危険のある出産は女性の負担だとして、人工妊娠中絶の必要性と合法化を主張した。これに加えて、国民優生法では不充分とされた、断種手術の徹底も求めた。

 しかし、日本社会党案はGHQとの折衝に手間取ったこともあり、国会では十分な議論がされず、審議未了となった。谷口弥三郎(のちに日本医師会長)ら超党派議員の議員立法で、1948年6月12日に提出され、参議院で先議された後、衆議院で6月30日に全会一致で可決され、7月13日に法律として発布された。

 1949年、52年に優生保護法は改正され、国家的に避妊を奨励し、中絶規制を緩和する内容となっていった。1952年に「経済的理由」を目的とした人工妊娠中絶が認められた。遺伝性以外の精神障害や知的障害のある人に対象が拡大した。

 強制不妊手術の実施数は、1950年代末に年1000件以上に達したが次第に減少し、1980年代にはほとんど行われなくなった。平成8年の法改正により、不良な子孫の出生防止にかかわる条項が削除され、法律名称が母体保護法になった。なお、優生保護法母体保護法ともに、議員立法によって制定・改正が行われてきている。ただし、行政実務上の主務官庁は厚生労働省(雇用均等・児童家庭局母子保健課)となっている。

 昨日二月二十二日の中日新聞の朝刊では、『旧優生保護法下で不妊手術を強いられたのは、憲法違反として、聴覚障害のある夫婦と、知的障害のある女性が、国に損害賠償を求めた控訴審判決で、大阪高等裁判所は、旧法を違憲と判断し国に賠償を命じた。全国九地裁・支部に起こされた訴訟で初の賠償命令だ。判決は、国に対する損害賠償請求権が消滅する二十年の「除斥期間」を適応しなかった。適応を認めると「著しく正義、公正の理念に反する」とした。』とあった。

 損害賠償請求権が消滅しても、社会的差別や偏見は消滅しない。旧優生保護法の趣旨が、精神障害や知的障害のある人が対象でなかったことは明白だ。しかし一旦出来上がってしまった法律は、一人歩きしてしまうのだ。今回の判決は、三権分立であることの意義を感じた。立法府や行政府の暴走を食い止める最後の手段が、司法にあってほしいと思ったから。

f:id:hhrrggtt38518:20220224063709j:plain