序文・日本の仏教のふるさと
堀口尚次
延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にある、標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。延暦寺という単一の伽藍はない。平安京〈京都〉の北にあったので南都の興福寺と対に北嶺と称された。平安時代初期の僧・伝教大師最澄により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職〈貫主〉は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
最澄の開創以来、高野山金剛峰寺と並んで平安仏教の中心寺院であった。天台法華の教えのほか、密教、禅〈止観〉、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教〈東密〉に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。
「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうとう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域〈これらを総称して「三塔十六谷」と称する〉に所在する150ほどの堂塔の総称である。「日本仏教の礎」によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千を越える寺社で構成されていたと記されている。
延暦7年に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年のことであった。
延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。比叡山は文学作品にも数多く登場する。
また、「十二年籠山行」「千日回峰行」などの厳しい修行が現代まで続けられており、日本仏教の代表的な聖地である。
私は、比叡山に二度訪れている。一度目は、20歳代後半に、千日回峰行者の酒井雄哉師に憧れて、一人で行者道を五時間歩いて宿坊に宿泊した。二度目は、会社の同僚と再び行者道を歩いて酒井師に会いに行った。この時は何時間か待って偶然にもお合いすることが出来た。比叡山延暦寺は、日本仏教の故郷とでもいうか、厳格な中にもどこかに懐かしさを感じさせる古刹だ。
私は、今後も期会があれば当山を訪れて、高僧らの遺徳を偲ぶと共に、自らの研鑽のためにも巡礼したいと考えている。
※根本中堂