ホリショウのあれこれ文筆庫

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第267話 金閣と銀閣

序文・足利将軍の別荘

                               堀口尚次

 

 鹿苑(ろくおん)は、京都市北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院。相国寺臨済宗大本山〉の境外塔頭(たっちゅう)〈本堂以外の建物〉である。建物の内外に金箔が貼られた舎利殿から、金閣寺として知られている。山号は北山。正式には、北山鹿苑禅寺と号する。寺名は開基〈創設者〉である室町幕府第3代将軍足利義満法号鹿苑院殿にちなむ。寺紋は五七桐。義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。舎利殿室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが、昭和25年に放火により焼失し、昭和30年に再建された。

 同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢が行方不明であることが判明し捜索が行われたが、夕方になり寺の裏にある左大文字山の山中で薬物を飲み切腹してうずくまっていたところを発見され、放火の容疑で逮捕された。林は救命処置により一命を取り留めている。

 逮捕当初の取調べによる供述では、動機として「世間を騒がせたかった」や「社会への復讐のため」などとしていた。しかし実際には自身が病弱であること、重度の吃音症であること、実家の母から過大な期待を寄せられていることのほか、同寺が観光客の参観料で運営されており僧侶よりも事務方が幅を利かせていると見ていたこともあり、厭世(えんせい)〈世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思う〉感情からくる複雑な感情が入り乱れていたとされる。そのため、この複雑な感情を解き明かすべく多くの作家により文学作品が創作された。一例として、三島由紀夫は「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」と分析したほか、水上勉は「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により美の象徴である金閣を放火した」と分析した。

 慈照(じしょう)は、京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院。相国寺の境外塔頭である。観音殿〈銀閣〉から銀閣として知られている。正式には、東山(とうざん)慈照禅寺と号する。山号東山。開基〈創立者〉は足利義政、開山は夢想礎石とされている。

 以上のように、金閣寺」や「銀閣寺」という寺院は存在しない。それぞれ「鹿苑寺」と「慈照寺」の塔頭なのである。入試問題の落とし穴になった過去があるので注意が必要だ。教科書には「金閣銀閣」で紹介されている。

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