ホリショウのあれこれ文筆庫

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第276話 アウシュヴィッツの惨劇

序文・人種差別の醜い歴史

                               堀口尚次

 

 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策〈ホロコースト〉および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容者の90%がユダヤ人であった。

 アドルフ・ヒトラー率いるナチスが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」とは、1940年から1945年にかけてドイツが占領下においた現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外に作られた、強制的な収容が可能な施設群の総称である。ソ連への領土拡張をも視野に入れた「東部ヨーロッパ地域の植民計画」を推し進め、併せて占領地での労働力確保および民族浄化のモデル施設として建設、その規模を拡大させていった。

 地政学的には「ヨーロッパの中心に位置する」「鉄道の接続が良い」「工業に欠かせない炭鉱や石灰の産地が隣接する」「もともと軍馬の調教場であり、広い土地の確保が容易」など、広範なドイツ占領下および関係の国々から膨大な数の労働力を集め、戦争遂行に欠かせない物資の生産を行うのに適していると言える。また、次第に顕著となったアーリア人至上主義に基づいた「アーリア人以外をドイツに入国させない」といった政策がドイツ国内の収容所の閉鎖を推し進め、ポーランドに大規模な強制収容所を建設する要因にもなった。

 労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人、さらには「劣等民族」を処分する「絶滅収容所」としての機能も併せ持つ。一説には「強制収容所到着直後の選別で、収容者の70-75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされており、このため、現在にいたっても正確な犠牲者の数は把握されていない。

 収容されたのは、ユダヤ政治犯ロマシンティ〈ジプシー〉精神障害者身体障害者同性愛者、捕虜聖職者エホバの証人、さらにはこれらを匿(かくま)った者など。その出身国は28に及ぶ。ドイツ本国の強制収容所閉鎖による流入や、1941年を境にして顕著になった強引な労働力確保〈強制連行〉により規模を拡大。ピーク時の1943年にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されている。

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