ホリショウのあれこれ文筆庫

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第286話 インパール作戦の責任

序文・精神論の杜撰な作戦

                               堀口尚次

 

 インパール作戦日本側作戦名:ウ号作戦とは、第二次世界大戦ビルマ戦線において、昭和19年3月に帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された、援蒋ルート〈日中戦争における大日本帝国中華民国蒋介石政権の対立の際、主にイギリス、アメリカ、ソ連が蔣介石政権を軍事援助するために用いた輸送路のこと〉の遮断を戦略目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加したほとんどの日本兵が死亡したため、現在では「史上最悪の作戦」と言われている。当作戦を始め、ビルマで命を落とした日本軍将兵の数は16万人におよぶ。

 当初より軍内部でも慎重な意見があったものの、牟田口廉也(むたぐちれんや)中将の強硬な主張により作戦は決行された。兵站(へいたん)〈後方支援〉を無視し精神論を重視した杜撰(ずさん)な作戦によって多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫したため、「無謀な作戦」「無為無策の戦術」の代名詞としてしばしば引用される。

 現状を正確に認識して、部隊の自壊を危惧した第31師団長・佐藤陸軍中将は、「作戦継続困難」と判断してたびたび撤退を進言する。以後陸軍内部の抗命事件に発展し、作戦中止が正式に決定する。司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所(ようはいじょ)〈天皇を拝む場所〉に幹部を集め、泣きながら次のように訓示した。『諸君、佐藤兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは、戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…』

 動けなくなった兵士を安楽死させる“後尾収容班”が編成された。また負傷者の野戦収容所では治療が困難となっており、助かる見込みのない者に乾パンと手榴弾(てりゅうだん)や小銃弾を渡して自決を迫り、出来ない者は射殺するなどしている。

 独断撤退を行った佐藤中将は、作戦当時心神喪失であったという診断が下され、牟田口中将同様に、更迭され両者予備役編入という懲罰人事で終っている。

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                        ※牟田口中将