ホリショウのあれこれ文筆庫

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第294話 戦国時代に翻弄された松姫

序文・武田信玄公息女

                               堀口尚次

 

 松姫は、甲斐国戦国大名である武田信玄の五女。

 永禄年間に武田氏は尾張国織田氏と接し、信玄の世子・勝頼の正室には織田信長の養女遠山氏の娘を迎えていたが、永禄10年に勝頼正室は死去し、同年には武田・織田同盟の補強として、7歳の松姫と信長の11歳の嫡男・織田信忠との婚約が成立する

 ところが、元亀3年、信玄が三河遠江方面への大規模な侵攻である西上作戦を開始すると、織田氏の同盟国である三河国徳川家康との間で、三方ヶ原の戦いが起こる。同盟関係にある信長は徳川方に援軍を送ったことから武田・織田両家は手切れとなり、松姫との婚約も解消される

 天正元年に武田信玄が死去し、異母兄の武田勝頼家督を継承すると、松姫は兄の庇護のもと信濃郡伊那郡高遠城下〈現・長野県伊那市〉の館に移る。

 天正10年、織田・徳川連合軍による甲斐への本格的侵攻が開始され、兄の盛信を高遠城において、勝頼は新府城〈現・山梨県韮崎市〉から天目山へ逃れともに自刃し、武田一族は滅亡する。盛信により新府城へ逃がされた松姫は勝頼一行と別行動を取り、海島寺〈山梨市〉に滞在したのち、一族の幼き姫らを連れ、相武国境の案下峠を越えて、武蔵国多摩軍恩方〈現・東京都八王子市〉へ向かい、金照庵〈現・八王子市上恩方町〉に入る。この時に越えた峠が松姫峠と名付けられている。

 武田氏の滅亡後、八王子に落ち延びていた松姫のもとに、かつての婚約者・織田信忠から迎えの使者が訪れるしかし、松姫が信忠に会いに行く道中にて本能寺の変が勃発し、織田信忠二条新御所明智光秀を迎え討ち、自刃(じじん)する

 同年秋、22歳で後北条家庇護下にて心源院〈現・八王子市下恩方町〉に移り、出家して信松尼(しんしょうに)と称し、武田一族とともに信忠の冥福を祈ったという

 「武田信玄の娘・松姫」と「織田信長の息子・信忠」は、戦国時代に翻弄されたのだ。松姫は、生涯に渡り婚約者・信忠の顔を見ることもなかったが、文(ふみ)のやり取りで信頼関係を築いていたとのことのようだ。出家して信松尼となった松姫の胸中は、いかほどであっただろうか。信松尼の「信」は、父である「信玄」からとった説と、婚約者だった「信忠」からとったとの説が悲しい。

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