ホリショウのあれこれ文筆庫

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第298話 血盟団事件

序文・226事件の序章

                               堀口尚次

 

 血盟団事件は、昭和7年に発生した連続テロ〈政治暗殺事件。政財界の要人が多数狙われ、井上準之助日本銀行総裁・大蔵大臣〉と團琢磨(だんたくま)〈三井財閥総帥〉が暗殺された。当時の右翼運動史の流れの中に位置づけて言及されることが多い。

 血盟団井上日召(にっしょう)〈宗教家・政治運動家〉の思想に強く感化されたカルト集団だと言える。また、井上の思想の底流にあるのは、ある種の仏教的神秘主義である。田中智学〈宗教家〉が創始した日蓮主義を基本として、仏教的神秘主義と、皇国思想・国家改造に対する熱望が合わさって、井上日召が独自に思想形成したものであると言える。

 血盟団のメンバーが思想的に一枚岩だったというわけではない。たとえば、権藤成卿(せいきょう)〈農本主義思想家〉に対する評価は団員の間で大きく割れていた。権藤の思想は、「社稷(しゃしょく)」という古代中国の概念を日本に当てはめた農本的国家主義思想で、それに最も共感した者もいたが、権藤には若干懐疑的な者もおり、国家社会主義には反対、権藤の漸進(ぜんしん)主義〈穏健的な社会改革を志向する政治哲学上の立場〉にも反対、極端な天皇主義者でいわゆる「日本精神」に影響された者は「社稷」にはまったく反対だった。

 井上たちに、要人暗殺後の国家改造計画の具体策は全くなかった。むしろ、そのようなものを計画することを積極的に放棄していた。彼らの論理は、自分たちがテロによって要人を殺害し捨石になることで、後続の国家改造の先鞭(せんべん)人より先に物事に手をつけることを付けたいという単純なものであるしたがって、血盟団事件自体はクーデター計画でもその未遂事件でもなく、要人暗殺というテロ事件以上ではない 。

 血盟団事件は昭和初期から始まった超国家主義者によるテロ事件の嚆矢(こうし)〈始まり〉として知られ、政治学の分野などでもしばしばその基点として扱われる。

 被告・検察側共に控訴せず1審で判決は確定した。当時から、求刑に比べて判決は軽く〈懲役4年~無期懲役〉、寛大な裁判だったと言われた。なぜ判決が寛大だったのかについては研究が進んでおらず、理由はよくわかっていない。実刑判決を受けた被告人たちは収監後、度重なる恩赦、大赦減刑されている。

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