ホリショウのあれこれ文筆庫

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第302話 木炭自動車が闊歩していた

序文・軍用の燃料確保が目的

                               堀口尚次

 

 木炭自動車とは、木炭をエネルギー源とし、車載した木炭ガス発生装置で不完全燃焼により発生する一酸化炭素ガスと同時にわずかに発生する水素〈合成ガス〉とを回収、これを内燃機関の燃料として走る自動車である。

 第一次世界大戦中の1910年代から第二次世界大戦終結直後の1940年代にかけ、戦時体制にあって正規の液体燃料〈ガソリン軽油などの供給事情が悪化したイギリスドイツ日本フランスなどの資源に乏しい自動車生産国で広範に用いられたことで知られている。

 大日本帝国の商工省〈当時〉では、木炭ガス発生装置を「石油代用燃料使用装置」と呼称しており、それらを搭載した車両の正式名称は「石油代用燃料使用装置設置自動車」であるとされ、略して「代用燃料車」あるいは「代燃車」と言うが、バスの場合は専ら木炭バス薪バスと呼ばれていた。木炭以外に、薪や石炭〈無煙炭〉を用いる事例もあり、いずれも固形燃料を使用して内燃機関動力用のガスを確保するシステムである。

 木炭ガス発生装置は、エンジンが共通であるバスと大型トラックや、出力と装置の搭載に余裕のある、比較的排気量の大きい普通乗用車、普通・小型貨物自動車にも改造の上で搭載された。

 日本では燃料用の原油が不足した第二次世界大戦前後の1930年代末期から1940年代後期にかけ、民間の燃料消費を抑え、軍用の燃料を確保するため使用された

 戦時中は、軍需関連業務でガソリンの特配を受けられる特殊な例外や、地元産の天然ガスを燃料に使用できるガス産地のような例を除けば、日本全国で木炭車が多用された。国産供給可能とはいえ、まとまった量の木炭を入手することは容易でなく、政府主導の木炭配給も滞りがちであった。自社で木炭生産の炭焼きを行うバス会社や、木炭に加工されていない薪をそのまま使用する例も見られた。このため、太平洋戦争末期から終戦直後にかけては、乾燥・細断のみで燃料を使用できる薪ガス発生炉が好んで用いられるようになった。

 戦時中のお寺の釣鐘や家庭の鉄製品〈鍋や仏具にいたるまで〉の供出は知っていたが、まさかガソリン不足から木炭自動車なるものまで出現していたとは。

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