ホリショウのあれこれ文筆庫

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第304話 満州国

序文・独立国家か傀儡国家か

                               堀口尚次

 

 満洲は、1932年から1945年の間、満洲〈現在の中国東北部〉に存在した国家。1931年、柳条湖(りゅうじょうこ)事件関東軍南満州鉄道の線路を爆破した事件であり、関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。〉に端を発して満州事変が勃発、日本の関東軍により満洲全土が占領される。その後、関東軍主導の下に同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年の満洲国建国に至った。元首〈満州国執政、後に満州国皇帝〉には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が就いた。

 満洲国は建国にあたって自らを満州民族漢民族、蒙古民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人・漢人朝鮮人満洲人・蒙古人による五属協和王道楽土を掲げた。しかし、日本の関東軍が占領した日本の植民地であり、傀儡(かいらい)国家であったという意見もある。 当時の他の植民地と大きく異なり、満洲帝国は連盟加盟国の半数の国により承認されており、多数の外国の領事館も設けられ、日本の属国植民地ではなく、万里の長城より北側に存在した独立国家だったという説もある。

 満洲国は建国以降、日本、特に関東軍南満州鉄道の強い影響下にあり、「大日本帝国と不可分的関係を有する独立国家」と位置付けられていた。当時の国際連盟加盟国の多くは満洲地域は法的には中華民国の主権下にあるべきとした。このことが1933年に日本が国際連盟から脱退する主要な原因となった。

 第二次世界大戦末期の1945年、日ソ中立条約を破った赤軍ソ連陸軍〉による関東軍への攻撃と、その後の日本の降伏により、満洲国皇帝・溥儀が退位して満洲国は滅亡。満洲地域はソ連の占領下となり、その後国共内戦中国国民党中国共産党が争奪戦を行い、最終的に1949年に建国された中華人民共和国の領土となっている。

 昭和6年から昭和7年満洲には59万人の日本人〈朝鮮・台湾籍を含む〉が居住し、うち10万人は農民だった。満洲国の成立以降、日本政府は国内における貧困農村の集落住民や都市部の農業就業希望者を中心に、「満蒙開拓団」と称する満蒙開拓移民を募集した。

 そして、ソ連の侵攻により、日本軍のシベリヤ抑留や中国残留日本人孤児の問題など、様々な悲劇を生み出す要因にもなったのだ。

※皇帝・愛新覚羅溥儀        満州国国旗