ホリショウのあれこれ文筆庫

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第306話 名鉄弥富駅近辺散策

序文・史跡巡り

                               堀口尚次

 

 4月19日に「終点駅近辺散策シリーズ」の13回目として、愛知県弥富(やとみ)市の名鉄弥富駅から一つ手前の五ノ三駅までを3時間かけて散策し、神社・祠・お寺・お堂・史跡等を訪ね歩きました。

 今回は、名鉄名古屋駅の一つ手前の金山駅で、弥富行き準急に乗り換えノンストップで名鉄尾西線の南側終点・弥富駅まで向かいました。

 ところがどっこい、またしてもプチハプニングが発生!終点の弥富駅に降り立つと駅のホームの看板が「JR弥富駅」になっているではないか!若干の焦りを隠しながら名鉄の改札を探すが見当たらない。なんとこの駅は、名鉄とJRの共用駅になっていたのだ。何食わぬ顔で駅を出て少し歩くと「近鉄弥富駅」もあった。もし「名鉄・JR・近鉄」の三社共用駅だったら、私は完全にノックアウトされていただろう。

 こうして目的のお寺や神社を訪ね歩いていて感じたのが、この町はお堂に入ったお地蔵様が多いことだ。この辺りは、元々木曽三川の中州にあたり(もっと昔は海だった)干拓新田事業が江戸時代より盛んに行われてきた土地だ。川の氾濫や台風による海水の被害など、苦難の歴史が積み重なる土地だ。土地の人々はここに延命地蔵〈特に多く見受けられた〉を丁重に祀り、今日の繁栄を感謝し、報恩を伝承してきたのではないだろうか。私は、一体一体の地蔵尊に合掌し、歩みを続けた。

 珍しいものでは、国の重要文化に指定されている「服部家住宅」があり戦国時代から残る豪農の居宅だそうだ。残念ながら中は拝観できなかったが、外観だけでも昔にタイムスリップしたような錯覚に陥る景観だった。

 史跡では「鯏浦(うぐいうら)城址」があり、この辺りに勢力があった服部党〈豪族〉・一向〈浄土真宗門徒勢を攻めるために織田信長が築いた砦(とりで)跡だ。信長は有名な長島一向一揆で一向門徒ら二万人を壊滅・殺戮(さつりく)したといわれている。更に「明治天皇焼田港御着船所跡」もあり、明治元年天皇が京都から東遷(とうせん)〈東京へ移る〉の際、東海道の桑名から佐屋までを尾張藩の軍船白鳥丸で向かわれたが、浅瀬のため進めなくなり、急遽焼田港〈現在の弥富市〉に上陸されたという。

 今回は、15箇所・3時間の巡礼となった。史跡も色々あり興味深かったが、いかんせん気温が上昇したため、本来の行程を一部割愛したのだった。