序文・どちらも真剣勝負
堀口尚次
プロ野球・ロッテとオリックスの公式戦で、佐々木投手が投じた外角直球を白井球審がボールとジャッジ。この判定に対する表情が不服に映ったのか、白井球審はマスクを取り、鬼の形相でマウンドに詰め寄った。このことが連日ネットニュースを賑わしている。
野球の審判は、審判員に委ねられている。勿論抗議は可能だが、基本的に判定が覆ることはまずない。スポーツの団体競技には審判員がつきものだが、数年前から審判員の判定を巡り議論が繰り返され、「ビデオ判定」なるものが登場した。サッカーの試合などではおなじみの判定方法となってきた。
プロ野球では、この「ビデオ判定」なるものは導入されていないが、IT技術の発展で、コンピューターによるストライクの判定も可能なのかも知れない。
アウトやセーフの判定もしかりだ。ただ、今までの体験上、ストライクかボールか!?アウトかセーフか!?のギリギリの攻防が興奮や感動を呼び起こしていたように思う。ホームベースでの交錯プレイなど「さあ、判定はどっちだ!?」という時が一番盛り上がるのだ。ただ、真剣に競技している選手にしてみれば判定結果は最重要であり、しいては自分の業績〈収入〉にも関係してくるのだ。だから一概に審判員の判定に、ただ素直に従うとはいかない事情はよく分かる。
これに対して高校野球は、審判員の判定に抗議などありえない。一生懸命戦うことこそが美徳とされ、観る者に爽やかな感動を与えてくれる。その点から私は、高校野球におけるピッチャーの敬遠策をあまり好意的に受け取っていない。無論勝負事であり、ルールとして認められた戦術である以上、監督が勝つための苦肉の策を選択するのは自由だ。
今回の騒動の要因は、審判員の判定にあるのではなく、佐々木投手の審判員に対する態度が判定を不服と映ってしまったところにある。機械で判定しているのではなく、人間の目で判定しているのだから、判定を不服としていてはゲームが成り立たない。どうしても納得がいかない判定であったのならば、冷静に紳士に審判員に抗議すべきだ。
印象的だったのは、ロッテの松川捕手が冷静に対応していた点だ。彼はまだ18歳だが、今回の対応は素晴らしかった。佐々木投手も審判員も感情を持った一人の人間だ。そのぞれの精一杯の姿が観られたことは事実であろう。