ホリショウのあれこれ文筆庫

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第314話 郷土の偉人・トマト王

序文・カゴメケチャップ・ソース発祥の地

                               堀口尚次

 

 蟹江一太郎は、カゴメ創業者であり「トマト王」とも称される。明治8年、愛知県知多郡名和村〈現・東海市名和町〉に農家の長男として出生。当時の名前は佐野市太郎。明治26年18歳で蟹江家に婿入りしたが、近隣に蟹江市太郎という同姓同名の人物がいたため、名を一太郎に改名した。

 明治29年、名古屋にあった歩兵第6連隊に入隊し、3年間の兵役を務め上げた。除隊の折り上官の西山中尉より西洋野菜の栽培を勧められ、明治32年にトマトなどの西洋野菜の栽培に着手。のちに、西洋野菜を販売するもトマトが全く売れず頭を悩ませたが、欧米では生より加工しソースとして使用することを知り、明治36年にトマトソース〈現在のケチャップの前身〉の製造をはじめた。明治39年には自宅敷地内に工場を建設し、本格的な生産を開始する。

 蟹江一太郎氏は、他人の忠告〈言葉〉に耳を傾け、まじめで正直一途な性格ながら、チャレンジ精神が旺盛だった。また、郷土の偉人で儒学者の細井平洲を尊敬しており、「いつまでも同じ事を退屈せず、勤め行うことなり」「勇にあらずして何をもって行なわんや」の教えを守り、トマト加工事業に勇気を持って挑戦し、わき眼もふらず一歩一歩着実に、カタツムリのごとく工夫と努力を重ねて成功に至った。

 婿養子の蟹江が7代続いた蟹江家の桑畑を、工場に変えてしまったという近所の農家からの評判に心を悩ませた一太郎は、こう語っている「おとなしく百姓をしていれば、と世間は言うが、自分は百姓をやめるつもりは全然ない。トマトソースをつくるのは、百姓をやめてトマトソース屋になるためではない。自分のつくるトマトをより有利に売りさばくために、トマトソースに加工しているのだから、自分はあくまで百姓としてトマトソースをつくっているのだ」

競合との競争が激化する中、蟹江は自社の商品を販売するときに商標が必要だ

と考えた。当初蟹江は丸に星をつけたものを希望したが、当時星は陸軍を象徴していたため許可がおりず、仕方なく星に近い籠目(かごめ)の形を採用した。

 カゴメ発祥の地の愛知県東海市荒尾町には、カゴメ上野〈旧上野町の名残〉工場は元より、一太郎翁とまと記念館・カゴメ記念館などがあり、上野工場の片隅には、一太郎銅像や祠などが祀られている。ちなみに近辺の集落には「蟹江」の苗字の家が非常に多い。