ホリショウのあれこれ文筆庫

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第319話 名鉄谷汲線と谷汲さんの思い出

序文・廃線と古刹

                               堀口尚次

 

 私は、愛知県東海市に在住だが、ここは母方の在所の近くであり、父方の在所は、岐阜県揖斐郡大野町になる。したがって幼少の頃〈昭和40年代〉には、お盆などによく岐阜の在所へ連れていってもらった。

 乗用車がなかった我が家では、電車を乗り継いで行った。名鉄(めいてつ)〈名古屋鉄道の略称〉本線で岐阜駅まで行き、そこから市電〈正式名・名鉄岐阜市内線〉でいわゆる路面電車チンチン電車であり、それで長良川を超え、忠節駅から揖斐線に乗り、黒野駅から谷汲線に乗り換える。そして黒野北口という小さな駅で下車し、目的の在所までは徒歩で10分位だったと思う。私の記憶では、岐阜駅からの市電は、そのまま揖斐線に乗り入れていたと思う。乗り換えた記憶がないのだ。電車の扉は自分で開けるタイプだったと思う。今じゃ考えられない。

 この名鉄谷汲(たにぐみ)線は、元々大正時代から「谷汲鉄道」が運営していたものを、昭和19年名古屋鉄道が吸収合併したものだ。小学生だった私は、電車の先頭を陣取り、運転席のすぐ後ろで運転手の一挙手一投足を具(つぶさ)に見ていたものだ。 

 そして、在所からはその谷汲線に乗って終点の谷汲駅まで行き、西国三十三カ所巡りの満願寺〈33番目の最後の寺〉であり「谷汲さん」の名で親しまれる「谷汲山華厳寺」にもよく連れて行ってもらった。

 谷汲さんは、桜や紅葉の名所としても有名なお寺で、土産物屋・飲食店・旅館などが立ち並ぶ参道は、約1kmあり徒歩10分程度で山門に到達する。本堂の地下に「戒壇(かいだん)巡り」という真っ暗な回廊を手探りで進み、回廊の奥にある御本尊とつながっている錠前に触れることで、極楽往生のお約束をいただくことができるというもの。幼少の頃は、「錠前に触(さわ)れないと出てこられない」とか「左側の壁を伝って行くと出てこられない」とか色々脅された記憶がある。なにしろ真っ暗闇だし、夏でもひんやりしているので、本当に怖かったのだ。

 私は20歳代後半に、岐阜県に二度も赴任することがあり、暇を見つけては谷汲さんを訪れて昔を懐かしんだものだった。

 ただ、名鉄谷汲線は平成13年に、岐阜市電も平成17年に共に全線廃止となってしまった。谷汲さんへは車で行けるが、もう一度市電や谷汲線に乗ってみたかった。