ホリショウのあれこれ文筆庫

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第347話 浅草フランス座

序文・お笑いの殿堂

                               堀口尚次

 

 浅草フランス座演芸場東洋館は、東京都台東区浅草六区に所在する演芸場。東洋館の通称で営業している。東洋興業株式会社経営。かつては長い間ストリップ劇場として営業していた。渥美清東八郎萩本欽一坂上二郎ビートたけしなどを輩出したことで知られる。

 舞踊中心の上品なストリップと幕間の爆笑コントを売り物にしていた。コントを演じていたのが芸人たちで、いわゆる浅草芸人としていずれも大スターとなった。無名時代の井上ひさし〈小説家〉が劇場座付き作者をつとめたことがあり、照明係など雑用をこなしながら、同劇場のコント台本を担当した。井上はこの劇場のことを「ストリップ界の東京大学」と言っていた。だがそんな彼らも深見千三郎ビートたけしの師匠〉などを除き、ほとんどはテレビの世界に移り、浅草のスターから日本のスターへとのしあがっていった。

 北野武は、ここですさまじくキレのあるコントを演じていた「浅草の師匠」こと深見に弟子入りし、芸人への第一歩を踏み出す。エレベーターボーイをしながらコントやタップダンスを学んだ。また、兼子二郎後のビートきよしと出会い、後の漫才ブームの牽引役となる「ツービート」結成のきっかけとなった場所でもある。たけしは大スターになってから自分の弟子〈当地浅草での修行にちなみ浅草キッド命名〉を修行に出す。しかし、支配人の岡山がろくに給料を支払わなかった事から劇場への恨みを募らせ、機材をめちゃくちゃに破壊するなどの報復を行い、最終的にはたけし自身も激怒して軍団員を引き揚げている。

 しかしながら、猥雑(わいざつ)が売り物の関西系ストリップが全盛になるにつれ「健全すぎる」フランス座の舞台はサービス不足とみなされ、浅草の斜陽化もあり客足が減る一方であった。東洋興業がとった決断はストリップから完全に手を引く事であった。2000年にストリップ興行を打ち切る。同年改装の上、落語、講談、浪曲以外のいろもの寄席「浅草フランス座演芸場東洋館」に改称、現在に至る。

 無名時代のビートたけしが、フランス座のエレベーターボーイをしていた話しはあまりにも有名。お金のないたけしは、ストリップの踊り子さんに可愛がってもらったようだ。古き良き浅草が、そこにはあったのだ。