ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第352話 名古屋の大仏巡り

序文・ご尊顔を拝し奉る

                               堀口尚次

 

 名古屋三大仏として、「栄国寺の阿弥陀如来」「雲心寺の阿弥陀如来」「興正寺大日如来」である。また「桃厳寺の大仏〈釈迦と思われる〉」は名古屋大仏と称している。この他の大仏として、「興正寺釈迦牟尼」「普光寺の釈迦如来〈通称・北大仏〉」などがあるが、過日私はすべてを巡礼した。

 大仏の仏様の種類は、通常は阿弥陀如来が多いが、名古屋の場合、阿弥陀如来大日如来・釈迦如来とバラエティにとんでいる。因みに有名な、奈良の大仏は「廬舎那(るしゃな)仏」、鎌倉の大仏は「阿弥陀如来」である。大仏の仏様の種類は、宗派に関係があるようで、浄土系は阿弥陀如来、禅系は釈迦如来真言系は大日如来という感じであろうか。

 釈迦の背丈が1丈6尺あったという伝説から、その高さで造られた仏像を「丈六仏(じょうろくぶつ)」という。背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分の大きさになる。一般的には「丈六仏」より大きい仏像を「大仏」というが、その定義より小さくても「大仏」と称するものもある。このことから、普通、像高が丈六〈約4.8メートル〉、坐像(ざぞう)では半分の8尺以上ある仏像を大仏と呼ぶ場合が多い。

 名古屋三大仏の雲心寺を訪れた時の出来事だが、本堂への入り方が分からず困っていると、隣接するお寺が経営する幼稚園の園児達が山門から賑やかに入って来、引率の先生に大仏を拝見したい旨を話すと、分かるものを呼んでくれることになった。程なくすると幼稚園の別の先生が本堂を案内してくれ入口の鍵を開けてくれた。こうして名古屋三大仏の阿弥陀如来坐像を参拝し、珍しい、馬に乗りお地蔵様なのに兜をかぶり鎧をつけた「勝軍地蔵」も見ることができた。そしてご住職に話を聞くこともできた。そしてこのお寺の前身が東海市の清水(せいすい)寺であることを聞き、そのお寺が私の自宅近く〈直線距離600m〉であることにご縁を感じるのだった。ご住職は大変熱心に色々な説明をして下さり、恐縮した。雲心寺が尾張徳川家の家老の下屋敷であったこと、名古屋三大仏の阿弥陀如来の体内仏は現東海市清水寺から持ってきたこと、山門と本堂を直線で結ばない建築様式〈邪気を寄せ付けないための工夫〉のこと、本堂と大仏殿を別のお堂とした建築様式〈屋根は分かれているが室内は繋がっている〉であることなど本当にありがたいご縁をいただけたと感謝している。