ホリショウのあれこれ文筆庫

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第353話 人を死に至らしめた場合の刑罰

序文・交通事故の悲惨な事例

                               堀口尚次

 

 5年前、東名高速で起きた「あおり運転」の死傷事故のやり直し裁判で、危険運転致死傷などの罪に問われた石橋和歩被告に判決が言い渡された。横浜地裁は争点となっていた危険運転致死傷罪の成立を認め、懲役18年の実刑を言い渡した。

 今回このニュースを受けて、「人を死に至らしめた場合の刑罰」について考察してみた。遺族の方があまりにも無惨に感じたので筆を執った。

 但し、法律の専門家でないので、私が知っているごく矮小(わいしょう)な知識からの考察であることをまずもってご理解頂きたい。けして社会の木鐸(ぼくたく)になろうなど烏(お)滸(こ)がましい考えではなく、社会秩序に対して、沽券(こけん)に関わる事案であったように強く感じた次第であるのだ。

 殺人罪は、計画性のあるなしにしろ「人を死に至らしめた」事実からは逃れようがない。また殺人未遂罪についても、結果的に「人を死に至らしめなかった」だけであり、殺意があったことから殺人罪と同等の刑罰を科すことが望ましいと考える。

 業務上過失致死罪は、交通事故などでよく耳にするが、計画性や殺意はなく、文字通り過失により「人を死に至らしめた」ケースである。そして今回の問題となっている危険運転致死傷罪だが、こちらも勿論計画性や殺意はないが、「加害者の危険運転行為」と「被害者の死後事故」との因果関係が焦点となろう。加害者のあおり運転行為で、高速道路上に被害者の車を停車させる行為は、危険極まりないことは事実だ。被害者の停車している車に衝突して被害者を死亡させてしまった大型トラックの運転手は、業務上過失致死罪で起訴されているが、これは当然であるが、ある意味この大型トラックの運転手も二次的な被害者に思えてならない。ただし大型トラックが法定速度違反であったことも事実のようだが、そのことと高速道路上に停車していた車を避けることとは、まったく別次元の話しである。

 私が今回の事故〈事件〉で強く印象に残り、強い憤りを感じたのは、あおり運転をした加害者の態度である。反省の色とはほど遠い「自分は悪くない」と言わんばかりの太々しい立ち振る舞いだ。社会環境や家庭環境が強く影響していると思うが、こんな人間を生みだしてしまう社会は、斜陽の時を迎えているのかも知れない。