ホリショウのあれこれ文筆庫

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第355話 名古屋大空襲の戦争遺構を訪ねて

序文・熱田神宮の鳥居にも爆弾の破片が・・・

                               堀口尚次

 

 名古屋大空襲は、第二次世界大戦末期、アメリカ軍が名古屋市に対して繰り返し行った空襲の総称、もしくはそのうち特に市街地を標的として大規模に行われたものをいう。後者においては、中心市街地が罹災(りさい)した昭和20年3月12日、名古屋駅が炎上した3月19日、または名古屋城を焼失した5月14日の空襲などを指す。鉄道が被爆した。

 明確な定義はないため、名古屋に対するすべての空襲を総称して大空襲と呼ばれる場合も多く、また一宮市半田市に対するものなど名古屋近郊への空襲も便宜的に含める場合もある。昭和20年6月9日熱田区愛知時計電機船方工場・愛知航空機船方工場周辺に行われた空襲は熱田空襲と呼ばれる。

 当時、アメリカ軍の爆撃機マリアナから大阪・名古屋に来るときは、都市を避けて琵琶湖を目ざし、琵琶湖上空で大阪方面なら西南、名古屋方面なら東南へ進んだ。熱田空襲の6月9日、アメリカ軍爆撃機130機が琵琶湖方面へ向かうのを発見した旧日本軍東海軍管区は空襲警報を発令、その後爆撃機が西南〈大阪方面〉へ向かうのを見送り空襲警報は解除された。ところが、130機のうちの40機は突如進路を東南名古屋方面に変更、その日は気象条件も良く名古屋まで一気に急襲した。空襲警報解除から約1時間後の午前9時30分頃、流星〈艦上攻撃機〉等を作っていた軍用機メーカー愛知航空機の工場ならびに住友金属工業名古屋工場などの船方町〈現・一番町周辺。交差点名は残っている〉、白鳥橋周辺を爆撃した。思いもしない突然の空襲に旧日本軍も対応が遅れ、空襲警報解除に安堵していた人々も逃げ遅れた。結果、愛知時計電機愛知航空機工場で働いていた従業員や動員学徒約2万2000名のうち1045名が死亡、重軽傷者約3000名、周辺住民も数十人死亡した。従業員や周辺住民あわせて約2000人が死亡、重軽傷者約2000名との説もある。国宝に指定されていた熱田神宮など文化財も被害を受けた。

 私は、爆撃があった6月9日に合わせて、愛知時計電機周辺の慰霊碑や戦争遺構を巡り、犠牲者を偲び、あの日今日も暑かったんだろうなあと黙祷しました。

・堀川被爆護岸堤防→ちょうどテレビの取材と出くわしました。

・第二次大戦非戦闘員横死者諸霊之追善菩提

・慰霊地蔵尊 など