序文・心の時代~宗教・人生
堀口尚次
昨今世間を賑わしている宗教。では宗教とは一体何なのだろう。「人間は宗教なしでは生きられない」と言った人がいた。勿論すべての人が何らかの宗教に入信している訳ではないが、冠婚葬祭など何らかの宗教に傾倒していることは事実。また特に日本人は、神社仏閣そして山海川自然そのものに神が宿るとして古来から信仰してきた。その他にも土着の民間信仰も数多くあり、無宗教と言われる日本人でさえ、ややもすれば一番宗教的な生き方をしているのかも知れないのだ。
さて昨今問題視されているのは、いわゆる「新興宗教」であり、伝統的な仏教や日本古来からの神道と一線を引いた宗教と言えるものだと思う。「新興宗教」という言葉は差別用語だと主張する学者もいたが、それほど目くじらを立てることでもなかろう。
戦国時代には一向宗〈浄土真宗〉による「一向一揆」が起こり、織田信長や徳川家康を苦しめた。強大な組織力を背景に、信仰の裏にある宗教勢力として武家勢力に対抗したのだ。今の浄土真宗が西本願寺と東本願寺に分かれたのも、巨大に成り過ぎた浄土真宗勢力を徳川家康が二分したのが始まりだ。織田信長は比叡山を焼き討ちしたり、長嶋一向一揆では仏教勢力の殲滅(せんめつ)を実行している。
幕末から神道への回帰が説かれ、明治維新では神仏分離令により廃仏毀釈が起こり、天皇を中心とした国家神道への道筋となった。宗教〈神道〉は国家再生の足がかりとなり、宗教の力のすごさを如実に表している。このことは、戦争に突入していった日本が、神道でまとめあげられた精神論で統率された軍隊を動員して戦闘行為に駆り出し、国民もこの宗教〈神道・天皇〉に陶酔〈マインドコントロール〉されていったのだ。
創価学会は日蓮系の宗教団体だが、その巨大組織による公明党への影響力は誰も否定できない。純粋に日蓮の教えである法華経の精神を流布する行為はすばらしいと思うが、特定の政治団体との関わりは政教分離の大原則に抵触する。
オウム真理教が起こした悲惨な事件も、マインドコントロールされた信者たちによる蛮行であり、宗教の力の恐ろしさを垣間見た。
宗教なしでは生きられない人間が、その宗教とどう向き合い、どう付き合って行くかが問われている。信じるものだけが救われるなら、宗教はいらない。